大阪地方裁判所堺支部事件

昭和27年05月20日 衆議院 法務委員会
[002]
判事(最高裁判所事務総局刑事局長) 岸盛一
それではこれから最近起りました広島地方裁判所と大阪地方裁判所堺支部における暴力行使の事実について説明いたします。

最近法廷で被告人と、傍聴席を埋めた一部の多数の傍聴人と相呼応して気勢をあげて拍子、怒号、罵詈雑言を放って、裁判官の命令や係員の制止を聞かず暴力ざたに及んで、厳粛なるべき法廷が喧々囂々の騒乱の場所と化した例は、まれではないのでありますが、この広島の事件と堺支部の事件は、ごく最近のその傾向を最も顕著に物語るものであります。

(略)

それから2日置きまして、5月の15日に、一部の新聞に出ましたが、大阪地方裁判所の堺支部に事件があったのであります。

その概略を申し上げますが、公判期日におけるできごとであります。ことしの3月27日に起訴された被告人津田一朗、これは保釈中でありますが、これに対する昭和25年政令325号違反事件の第1回の公判期日におけるできごとであります。係の裁判官は松田判事であります。

当時の模様は、まず傍聴券を発行したかどうかということですが、堺支部の法廷の構造から、傍聴券の発行をいたして傍聴人を制限いたしましても、結局相当な警備態勢をとらない限りは、あまり実効がなかったという状態と、ことにこの松田判事は相当しっかりした判事で、従来もかような事件をたくさん手がけてなれておる判事だそうであります。このときも平生通り、特に傍聴券の発行をせずに、期日を開いたそうであります。この法廷の中は非常に狭くて、定員がやっと30名か24~25名くらいの程度のところであります。

この日は法廷内に約100人くらい、法廷の外に、入り切れないのが100人くらいおったそうであります。この公判期日の数日前に、担当の裁判官は堺の市警察署長は面接して、もし不穏な場合には、何時でも警察官を派遣してもらうように打合せをいたしておきました。なお裁判所としては、法廷内に立会書記官のほかに書記官補1名、廷吏2名、法廷内外の連絡員として書記官1名を増員配置させたほか、法廷の北側屋内及び裁判官入口、傍聴人入口、裁判官室に通ずる廊下等にも、事務局の庶務課長ほか5名の職員を配置して警備いたしたのであります、

この公判は午前10時30分に開廷されて、人定質問に入り、裁判官が被告人に年齢を尋ねましたところ、被告人は非常に傲慢な態度で、そこに書いてあるじゃないか、何度も同じことを聞かなくてもよいじゃないかと述べたので、裁判官は裁判の手続上必要なわけを説明し、なお立会いの山本弁護人も裁判官に協力して被告人をたしなめたということであります。

検察官の起訴状朗読が終って、被告人の意見陳述に入りますと、廷内の傍聴人のうち何名かが大声で、しっかりやれしっかりやれと叫ぶ者があったそうであります。そのうち廷内の傍聴人が、南側の窓寄りにいた傍聴人に向って、被告人席のあいている所を示して、大声で、ここがあいているからここへ入れと誘いをかけ、傍聴人が靴ばきのまま窓越しに入ろうとしたのを裁判官が目撃して、これを禁止したという事実があります。

その後検察官から証拠申請があって、その決定をしようとしていた際に、傍聴人の1人が突然立ち上って、検察官に対し、何が悪いのだ、それでも日本人かとどなり散らしたので、裁判官は、かってな発言は許さないと制止しますと、他の傍聴人がさらに、どうして発言して悪いのか、発言くらい許してやってもよいじゃないかとやじを飛ばすので、裁判官は、許可なく発言する者は退廷を命ずると告げましたが、これに従わず、なおまた執拗に発言を続けようとする気配が感じられた矢先、傍聴人席から、やれやれとアジる者が出て騒然となったので、裁判官は制止を聞こうとしない傍聴人2名に対して退廷を命じましたところ、退廷しようともせず、再度退廷命令を発しましたが、それにも応じないので、このままでは法廷内が騒然として審理を進めることができないと考え、やむなく午前11時30分に一時休廷を宣したのであります。

裁判官が休廷を宣して、ただちに裁判官入口から廊下に出ましたところ、あぶれた傍聴人また傍聴人入口から出て来た傍聴人とが3人、4人と逐次数を増して裁判官の前後左右から取囲んで、法服を強くひっぱり、このまま公判を続けろ、休廷を宣言するのは卑怯だとどなったり、ある傍聴人が殺してしまえと叫ぶと同時に足や裁判官のしりの所をけったので、裁判官は自分のあとから続いて退廷して来た書記官にこの殺してしまえといった男をさし示して、この男の顏をよく覚えておけといったが、その書記官は、その男をつかまえろと言われたものと感違いして、その男をつかまえようとしましたところ、かえってその男から頭をなぐられたりまた他の傍聴人たちから足をけられ、また法服をちぎれるくらいひっぱられたそうであります。

これを見た廷吏はその場にかけつけ、その書記官を救助しようとしましたところ、その廷吏もまたそこに集まった傍聴人からげんこで後頭部を強く突くようになぐられたのであります。

その間裁判官は30数名の傍聴人に囲まれながら約4間ぐらい引きずられ、傍聴人入口角のあたりでもみ合っていたのでありますが、これを見た1人の書記官補は、これはたいへんと思い裁判官の急を救うために、そこへかけつけたところ傍聴人らは書記官に対して、お前は一体何者だ、警察の犬だろう、なぐれ、でっち上げろと叫んで、えり首をつかんで引きずりもどそうとひっぱったり、傍聴人から両手で頭や顔を10数回なぐられ、かつけられ、ワイシャツの左の方が破られ、くちびるから出血をしたということであります。

この乱暴最中に、庶務課長は急を知って多数の傍聴人にもまれておる裁判官のところにかけつけ、裁判官を抱くようにして襲いかかって来る傍聴人を払いのけて、ようやくのこと刑事書記官室に難をのがれたのであります。

なおその休廷を宣する少し前から、法廷内の状況が非常に険悪に思われたので、庶務課長は職員に命じて検察庁に待機中の警察官の出動を連絡させましたところ、職員がなかなかもどらず、また警察官も来援しないので、変だなと思っていたところ、そのころにはまだ検察庁に警察官が到着していなかったということがあとからわかったそうであります。

さような事情で警察官50~60名、私服の警官10数名がやって来ましたのは、事故が発生した後10分ぐらいたってからで、そのときはすでに事態が平穏となっておりました。暴行を働いた人々はいち早く逃走してしまったあとであったのであります。

なおこの事件の被告人と日本共産党員と称する松葉某という者が、刑事書記官室に裁判官への面会を求めて来ました。手続の再開を要求しましたが、裁判官はこんな状態では裁判の公平を期することができないから、再開はしないと言いましたところ、なおも再開を要求するので、裁判官は武装警官を裁判所構内に、私服の警察官を廷内に配置して再開すると申しますと、被告人たちは室外に出てただちにもどって参りまして、裁判官の申出を承諾したので、午後0時過ぎ再開して約10分足らずして閉廷いたしたそうであります。

この再開後はまったく平穏であって、その際次会を6月3日と指定いたしたのであります。その後午後2時か3時ごろに松葉某という先ほどの裁判官に再開を求めた者外1名が裁判所へ来まして、裁判所を騒がしたのは済まなかったと陳謝してもどったということであります。

以上が大体堺の出来事であります。





昭和27年05月22日 衆議院 法務委員会
[003]
参考人(大阪地方裁判所長) 小原仲
それでは本月15日に、私の方の大阪地方裁判所堺支部に起りました事件について、その経過を御報告申し上げます。

まず場所は、大阪地方裁判所堺支部、堺市に存在する支部でございます。

事件は、昭和27年の3月27日に起訴されたものであります。事件名は、昭和25年政令第325号違反事件として起訴されたものでありまして、被告人は津田一朗、この被告人は、その当日は拘束を受けておりませんでした。保釈中でありました。事件の公訴事実は、被告人は、昭和27年の2月15日午後6時40分ころより、同7時30分まで近鉄の南大阪線恵我ノ荘駅付近で、安田茂子外10数名に対し、「高わし村の子供等8人米軍に鉄砲をつきつけられ靴でけられ命からがら逃げる――大正ヒコー場附近で」と題する文書を領布し、連合国に対する破壊的批評を論議したという公訴事実であります。

それにつきまして、第1回の公判が、本月の15日午前11時30分に開廷いたされたのであります。係の裁判官は松田判事、それから立会いの書記2名、法廷におきましては、廷吏2名、検察官並びに弁護人、これが立会いのもとで開かれました。これにつきまして、開廷前の様子を概略申し上げます。

この堺の支部はまだ仮庁舎でありまして、非常に狭隘であり構造も至って粗末なものでありました。でありますから、傍聴券というものも、今まで発行してみても、あまり効果がないと思われますので、従来傍聴券は発行したことはありませんでした。本件の場合にも傍聴券は出しませんでしたが、この法廷は非常に狭くて、わずかに24~25名くらいを収容する程度の広さしかございませんでしたが、その日は、法廷内に約100名、法廷外にまた約100名くらい傍聴人が来ておりました。

が、この傍聴人のほとんど大部分は、自由労働者でありました。これは平生からでありますが、堺の支部のじき隣のところに堺市庁舎がありまして、ここで職業安定の方の事務を取扱っておりますので、毎朝その自由労働者がたくさん集まって来ます。その職にあぶれた者が、時間つぶしに裁判所へ参りまして、裁判の傍聴をしておる。でありますから、どんな事件にかかわりませず、刑事裁判があるときには、傍聴人がたくさん押しかけて来ている状態であります。

それで本件につきましては、この公判の数日前に、あらかじめこの事件を円滑に審理を終りたいということからいたしまして、まさかの際をおもんぱかって、担当の裁判官は、堺市の警察署長に面接しまして、被告人、傍聴人等において不隠の行動がある場合は、いつでも警察吏を派遣せられるように、打合せをいたしておったのであります。

またその日の裁判所としての手配としまして法廷内に立会いの書記を1名増加しまして、立会い書記官の補助者としまして、書記官補1名を加え、さらに廷吏2名を法廷に入れておりました。そうしてさらに法廷の内と外との連絡に当らすために、書記官補1名、合計3名というものは平生よりもよけいに配備しておったのであります。それから法廷外におきましては、北側の裏庭、それから裁判官の入口、傍聴への入口、それから裁判官室に通ずる廊下、これらの要所々々に、庶務課長指揮のもとで、5名の職員を配置して、万一に備えておったのであります。

ところがなおその日におきまして、朝検察庁の側から連絡がありまして、何か事があったならば、すぐ検察庁に連絡ありたいということであったので、係の裁判官は、すでに検察庁におきまして、警察職員の連絡もでき、検察庁に警察職員が待機しておるものと信じておった次第でございます。検察庁はじき隣に建っております。

それで公判は午前10時30分に開廷いたしまして、そして人定尋問を始めたのであります。まず裁判官が被告人の年齢を問うと尋ねましたところ、被告人は非常な強い態度でもって、そこに書いてあるじゃないか、何度も同じことを聞かなくてもよいじゃないかというようなことを述べたので、裁判官が裁判の手続上、それを尋ねる必要なわけを説き聞かせまして、そしてなお立会いの弁護人からも、裁判官に協力して被告人をたしなめたのであります。

それから検察官が起訴状の朗読をいたしまして、これが終ってから、被告人の意見の陳述を始めましたところ、法廷内の傍聴人の中から、何人かが大きな声で、しっかりやれというような声を発する者がありました。そのうち法廷内の傍聴人が、南側の窓寄りにおったところの傍聴人に対して、被告人の席のそばがあいておるそこを指さして、大声でここがあいておるから入れというような誘いをかけた。その傍聴人がくつばきのままで窓を越して入ろうとしたのを裁判官が目撃したので、これを禁止したのであります。

それからその後検察官から証拠申請がありまして、そして裁判官が証拠決定をしようとしていた際に、傍聴人の1人が突然立ち上りまして、検察官に対して、起訴状にある犯罪事実は何が悪いのか、それでも日本人かという怒号を始めましたので、裁判官はかってな発言は許さないと言って制止しますと、ほかの傍聴人がさらに、どうして発言しては悪いのか、発言ぐらい許してやってもいいじゃないかというようなやじを飛ばした。そこで裁判官は、許可なく発言する者に対しては退廷を命ずることを告げましたが、これに従わないで、なおも発言を続けようとします気配がありました。その矢先に、傍聴人からやれやれというような扇動する者も出て来たのであります。

そこで裁判官は、制止するのを聞こうともしない傍聴人2名に対して退廷を命じましたところ、やはりその命ぜられた者は退廷しようとしない。そこでまた再度退廷の命令を発したのでありますけれども、これにも応じないで、ますますやじが盛んになって来まして、法廷内が騒がしくなって来たのであります。とうてい審理を進めることができないと思われたので、やむなく午前11時30分に、裁判官は休廷を宣言したのであります。

そして裁判官は、この休廷を宣して、ただちに裁判官の入口の方から、自分の部屋へ帰ろうと廊下へ出て、6、7歩出て行ったときに、廊下にあふれておりましたたくさんの傍聴人や、それからまた法廷の傍聴人の入口から出て来た傍聴人、これらが3人、4人と順次増して来まして、傍聴人が前後左右を取囲み、そして法服をひっぱって、このまま公判を続けろ、卑怯だぞというようにどなり、またある傍聴人は、殺してしまえというような叫び声を立てた者がありました。それと同時に、足や腰のあたりをけった者もあったのであります。

そこで裁判官は、自分のあとから続いて退廷して来ました立会いの書記官に対し、殺してしまえと言った男をよく目撃しておりましたので、殺してしまえといった男を指さして、あとの参考のために、この男をよく覚えておけと言いましたところが、書記官はどうもそれを聞き間違えまして、つかまえろと言われたものと思ってか、その男をつかまえたのであります。

ところがかえってその男からその書記官は頭をなぐられて、また他の傍聴人から足を蹴られたり、あるいは服をひっぱられたりしましたので、これを見ておりました廷吏は、その場にかけつけて、その書記官を救おうとしましたところ、この廷吏もまた同じく傍聴人からげんこで1回後頭部を強く突くようになぐられた、さようにしております間に、裁判官は30数名の傍聴人にもまれながら、約数間の間廊下を押されて行きました。

そして傍聴人入口の角までもみあっておりましたが、他の書記官補が見まして、たいへんなことと思って、裁判官のその急を救おうとそこへかけつけて行ったのでありますが、傍聴人らはこの書記に対しましても、お前は何者だ、警察の犬だろう、なぐれ、でっち上げろということを口々に叫びながら、同人のえりがみをつかんで、引きもどそうとした。そして他の傍聴人からは、手の平で頭や顔を10数回なぐられた上に、足も蹴られ、またワイシャツも破れるほどひっぱられたのであります。

かように騒いでおる間に、外に警備にあたっておりました庶務課長もそこへかけつけて、裁判官を抱くようにして傍聴人を払いのけようといたしました。そしてようやくその場を切り抜けまして、書記官室の方へ退くことができたのでございます。

その初めにあたりまして、その公判の休廷を宣言する少し前から、法廷が少し騒がしくなって来ましたので、庶務課長は職員に命じまして、検察庁に警察官が待機しておると思いましたから、その出動方を検察庁の方へ連絡させたのであります。その連絡にやった者がなかなか帰って来ない。また警察官もじきにはやって来なかったのであります。これは実は思い違いでありまして、検察庁の方には、まだ隣までは警察官が来ておらなかったのだそうであります。

それでようやく連絡がつまして、武装の警官が50~60人、私服10数人が来まして、まだこのほかにも警察官150~160人が検察庁の方に待機しておったそうであります。そうしてこれらの警察官が来ましたが、その来たときにはもうすでに騒ぎのあとでありまして穏やかになっており、また騒いでおった傍聴人も、いち早くその場を去ってしまっておったという状況であります。

それからその後の審理でございますが、その後そのある1名が裁判官のところに面会を求めて来ました。ちょうどそこに弁護人もおりまして、被告人らから公判の再開を要求して来たのでありますが、裁判官はかような状態では裁判の公平を期することができない、再開することはできないと言いましたが、その面会を求めて来た者たちは、執拗にぜひやってくれと希望しますので、裁判官は、武装警官を裁判所の構内に入れる、それから私服警察官を法廷内にそれぞれ配置する、その上で再開するといったところが、被告人らもこれを了承したので、そこで武装警官を50~60名、これを裁判所の構内――建物の外だったと思いまするかに、それから私服の警察官10数名を法廷内に配置し、そうして午後0時過ぎから法廷を再開し審理を続行いたしました。そうして10分ほど審理の後閉廷をいたした次第であります。

このあとの公判中はまったく平穏で過すことができたのであります。そうして次回期日6月3日ということにいたしたのでありますが、その午後2時か、3時ごろに、さきに裁判官に交渉に来た1名と他の人も来まして、裁判所を騒がして相済まなかったと陳謝しておったそうであります。

大体堺における騒ぎの概要はただいま申し上げた通りであります。私もその支部の方からの報告を受けまして承知いたしたのでありまして、現場を見ておったわけではありませんから……。
前略と後略は省略、旧字は新字に変換、誤字・脱字は修正、適宜改行、
漢数字は一部アラビア数字に変換、一部括弧と句点を入れ替えています。
基本的に抜粋して掲載していますので、全文は元サイトでご確認ください。