広島地裁被疑者奪回事件

昭和27年05月20日 衆議院 法務委員会
[002]
判事(最高裁判所事務総局刑事局長) 岸盛一
それではこれから最近起りました広島地方裁判所と大阪地方裁判所堺支部における暴力行使の事実について説明いたします。

最近法廷で被告人と、傍聴席を埋めた一部の多数の傍聴人と相呼応して気勢をあげて拍子、怒号、罵詈雑言を放って、裁判官の命令や係員の制止を聞かず暴力ざたに及んで、厳粛なるべき法廷が喧々囂々の騒乱の場所と化した例は、まれではないのでありますが、この広島の事件と堺支部の事件は、ごく最近のその傾向を最も顕著に物語るものであります。

まず広島の事件から説明いたしますが、広島の事件と申しますのは北鮮系の被告人の姜一龍外3名によっての勾留理由開示期日におけるできごとであります。

この勾留理由開示期日は、この5月13日に開かれたのであります。これはむろん被疑者に対する勾留理由開示の手続であります。係の裁判官はこの期日について、できる限り平静裡に勾留理由開示手続を終了せしめようとしまして、平常通りの傍聴人の制限とか傍聴券の発行制限等をいたさなかったのでありますが、手続開始に先だちまして、この事件の特殊性と客観的の情勢を考慮しまして、不測の事態が惹起されることをおもんばかり、法廷警備、審理妨害排除の目的のもとに、当日午前9時過ぎ、あらかじめ電話で検察庁に対し警備の手配方を連絡して、その了承を得ていたのであります。

この被疑事実と申しますのは、5月1日の日に広島市南三篠町古田シゲミ方を焼いてしまう目的で爆発物である火炎びんをこの古田宅に投入して破裂発火させ、その住居に使用する家屋の一部を焼いたという事実と、やはり同じ日その家の表門に、国民の血を吸う特審の古田を殺せ、広島301部隊と記載した紙きれを添付して古田氏の甥の法務府特別審査局中国支局員の古田巖という人の生命身体に危害を加うるごとき気勢を示して脅迫したというのが、被疑事実になっております。なおそのほか4人の被疑者には、事実は多少ずつ違いますが、そのうちのおもな被疑者に対する被疑事実はかような事実になっております。

先ほどの話にもどりますが、当日地方裁判所の2階の判事室において、その日の午後0時半から、裁判所の事務局の訟廷課の職員と、広島拘置所の看守部長2名と、裁判官が法延に入廷する場合のことについて打合せをいたしたのでありますが、その打合せを開始したとたんに40名を越える朝鮮人の男女が、男2名を先頭にして係の裁判官に面会を求めて裁判官室に裁判官の制止を聞かずに入って来たのであります。なおその際廊下にも多数の朝鮮人が集まっていたということであります。

係の裁判官は、その面会要求を拒絶して室外へ退去を命じました。なお同じ部屋にいた他の裁判官もかわるがわるそれらの人々に対して、面会を求めるときは、それぞれその順序を経てやって来るようにということをさとしたのでありますが、その人たちはそれに耳をかさず執拗に係の裁判官に面会を強要して、裁判官の周囲に立ちふさがるに至ったのであります。

たまたまそこへ高橋弁護士が入室した。裁判官は同弁護士に事態の収拾について協力を求め、高橋弁護士のあっせんによって代表10名に限り面会をする。他の者全員は階下に退去する。面会時間は15分限りとする。この3つの事柄を条件として面会を約束し、即時強硬にその他の人々に対しては全員退去を命じたのでありますが、結局ほかの人たちは廊下や出入口に立ちふさがったまま応じなかったのであります。

それで係の裁判官は、判事室の隣りの応接室で、先ほどの代表者と面会をいたしたのであります。当時その裁判官室では他の裁判官も執務中でありました。これらの裁判官からも退去を求めたのでありますが、応ずる気配がなかったので、そこに居合した長井判事補が、検察庁に行って待機中の警察官の応援を求めるべく、地方裁判所訟廷課及び検察庁へ連絡をいたしました。その命を受けた訟廷課では、ただちに事務官がその旨を地検の公安部に連絡をいたしましたが、その当時まだ警察官は検察庁に到着していなかったのであります。そこで急を要するので、訟廷課は在室しておった広島市西警察署員をして、西署へ至急警察官の来援方を電話で求めたのであります。

その関係の裁判官と代表者は応接室において高橋弁護人及びちょうどそこへ来合した、やはりその事件の弁護人である摑原、原田両弁護人立会いのもとに、代表者10名と面会しましたところ、同人らは即時釈放を要求いたしましたが、係の裁判官はこれを拒絶して、約10分余りで物わかれとなり、裁判官は裁判官室にもどったのであります。

間もなく西警察署から山崎警部補指揮の警官約33名が検察庁に到着いたしました。それを知った訟廷課の職員は、ただちに裁判所に派遣するよう検察庁へ連絡いたしたのでありますが、たまたまその際検察庁へも一部の朝鮮人が押しかけて検事に面会を求め、被疑者の即事釈放を叫んでいたころで、一時警察官は検察庁にとどまるのほかない状態になったのであります。

ところがその後その人たちは波状的に即時釈放、スピーカーの設置等について、係の裁判官のものに押しかけて参りましたが、裁判官は右の要求を拒絶して問答を重ねているうちに、面会人を去らせるために隣室から長井判事補が電話で、警官を出動させた方がよいと現場の係裁判官に勧めましたところ、その小声の電話の応答で、面会を求めていた朝鮮人たちは警察に連絡しているということを感知したものか、全員退去いたしました。

そのころ法廷内には傍聴人が150~160名入廷いたしており、これらの傍聴人は被疑者の入廷を機会に騒然となって、被疑者に声援を送って、警備の制止も聞かず、遂にごたごたになったのであります。その状態をそのまま放置すれば、遂には法廷占拠という事態に至るのではないかを案じられましたので、この際待機中の警察官の応援を求めようと一度は考えられたのでありますが、とにかく1個小隊の警察官の増援があるということを聞きましたので、係の裁判官は2時55分に法廷に入ったのであります。

法廷に入った後における状況でありますが、法廷内の状況は次といたしまして、まず外部の状況を申し上げますと、係裁判官が入廷しますと傍聴人は静粛になって、ただちに勾留理由開示期日が開かれまして、順次手続が行われており、その間は被疑者との間に多少の応答あるいは傍聴人の声援等の事実がありましたが、格別騒ぐ気配も見えず、このままに進行すればあるいは平穏裡に当日の手続が終了するのではないかと思われたということであります。

法廷内にはそのころ200人くらいの傍聴者がおり、法廷外には100人くらいの人が集まっておりました。ともに大半は朝鮮人でありました。一部分は日本人の自由労働者がおったということであります。そして法廷外の傍聴人は、法廷各所の出入口に多数集合して立ちふさがって、内部を整理中の裁判所職員の制止をも聞き入れない状態でありました。

開廷後約15分くらいで増援の警察官の1小隊が到着し、警察官が合計ここで71名となりましたが、これらの警察官を裁判所庁舍東側の階下の各室に分散待機せしめ、指揮官の板倉警部が民事の裁判官室におって指揮をとる態勢を整えたのであります。

そのうち法廷は平穏に終りに近づいて参りましたが、閉廷直後における被疑者の身柄、裁判官その他の職員の身体の安危、記録の安全が気づかわれるので、閉廷前あらかじめ警察官を法廷の各出入口に配置するということも考えられたのでありますが、せっかく法廷が平穏裡に進行しておるのに、外部からさような措置をとって刺激し、ごたごたを誘発してはならないという考慮から、裁判所職員が各出入口の警備に当ることにしまして、ただちに高等裁判所、地方裁判所の職員約20名を、裁判官の出入口等法廷の東西両側に随時配置いたしました。傍聴人の出入口方面は傍聴人が多数であり、かつ廊下が狭隘のため、職員の配置は困難であったということであります。

そのうち法廷内は最後の陳述者である原田弁護人の意見陳述が行われておりました。その陳述が終ったと思われるころ、突如法廷内が騒然となり、法廷外において監視中の裁判所職員は急を知って、待機中の警察官に緊急出動を要請したのであります。すでにそのころ法廷の裁判官席のうしろのとびら等も、傍聴席から柵を越えて入って来た朝鮮人によって法廷の内部からとざされ、法廷の内部と外部との連絡が不可能になったということであります。

ここで待機中の武装警官が指揮官のもとに出動しましたが、そのときすでにおそく、法廷内の傍聴人が被疑者を法廷外へ逃走せしめたので、警察官はただちにこれを追跡しましたが、被疑者らは傍聴人の応援を受けて、裁判所の西側の土堤を乗り越えて広島市内に逃走しました。なおも追跡を加えてようやくそのうちの1名を逮捕し、他の1名は自首し、他の2名は目下指名手配中であるということであります。

一方裁判官の出入口に待機中の裁判所職員は、裁判官を救出すべくそのとびらに迫ったのでありますが、その付近にいた傍聴人たちの阻止を受け、もみ合いを始めましたが、そのうち法廷内の傍聴人が退去するころ、これらの外にいた傍聴人も逃走して、職員はやっと法廷から脱出することができたのであります。

また事件の記録は、裁判官からすぐ廷吏に渡し、廷吏がからみつく傍聴人を押しのけ、その妨害を排除して、東側の窓から脱出して、柵の外で待機していた書記官に柵越しにリレーして、記録は安全に保護されたということであります。

その開示手続の法廷内の模様を、係の裁判官はかように言っております。

自分は午後2時52分入廷するために出て行くと、出入口付近に10数名の男女の朝鮮人がいたので、かたわらの裁判所職員に、出入口に4、5名ずつの警官を配置するように警官隊に連絡を命じた後、中央入口から入廷すると、傍聴人は多少ざわめいていたけれども、傍聴人席におった1人の男の制止によって、すぐに静粛になった。

自分は小声で籾山書記官を通じて廷吏に対して、万一の場合は警官隊の入廷を求める、その暗号として持っている記録を立てるから、そのときに警官隊に法廷内に入廷してもらいたいという打合せをいたしました。

型通りに人定質問、勾留理由開示、次いで被疑者並びに弁護人の意見の陳述を求めたところ、各被疑者もそれぞれ大体制限時間内で陳述をいたした。その間傍聴人はときどき拍手、声援を送ったり、あるいは自分に無断で被疑者に水を飲まそうとしたこともあったが、その都度自分が注意すると、すなおにこれに従って、予期した以上に法廷内は平穏の状態で、裁判官に対する侮辱的、攻撃的な発言や態度はなかったので、自分は無事閉廷まで行けるものと思っておった。

5時20分過ぎになって、原田弁護人の最後の陳述も終ったので、すぐ閉廷を宣して立ち上った。そうして自分の背後の出入口に歩を進めたところ、突如傍聴人が騒ぎ出し、付近の傍聴人5、6名が自分の腕を握り、自分が出るのを阻止するので、振りかえってみると、傍聴人、被疑者、看守らが、うずを巻くごとくもみ合い、大混乱を呈しているので、自分は大声で、警官をすぐ呼べと廷吏に命じ、持っていた記録を廷吏に渡すと、廷吏は東側の窓から妨害を排除して出て行き、柵越しに書記官に記録を渡すと、防衛のためにすぐ自分の身辺に来た。

その際裁判官席付近にいた1人の男が、大声で、引揚げろと絶叫すると、残っていた傍聴人らは各出口から退却した。自分はすぐ法廷を出て、警官隊の控所に急行すべく、2号法廷東隣の付近まで行ったところ、警官隊は出動しかけていたところであった。自分は2号法廷の裏にまわって見ると、傍聴人たちが西裏門の方に逃げて行くのが目撃された。

かようにその当時の法廷の様子を述べております。

なおこの係の裁判官は、自分はさようなことには気がつかなかったと言つておりますが、法廷が混乱に陥って、被疑者の奪還最中に、傍聴人のうちの1人が、あれを投げるのはよせということを言ったということを聞いた。廷吏や刑務官がそれを聞いたということで、あれを投げるというのは、非常に意味深長なものがあろうと思うのであります。

これが広島のできごとであります。





昭和27年05月22日 衆議院 法務委員会
[005]
参考人(広島地方裁判所長) 藤山富一
広島地方裁判所の状況を御報告申し上げます。

まず事件の概略を申し上げますと、去る5月13日、朝鮮人4名に対する爆発物取締罰則違反被疑事件の勾留開示期日その他の事件でありまして、この被疑事実の内容の大略は、5月1日のメーデー及びその前後の数日間に広島市隣接の古市という町の巡査駐在所に、朝鮮人多数襲撃して、駐在所内に火炎びんを投げつけ、また広島市内にある特審局職員の親族のうへ、同様火炎びんを投げ込み、なおその門に特審局職員に対する脅迫的な文字を連ねた紙を張りつけた、そのほかありますが、こういう被疑事実の概要であります。

そこで幸野裁判官は――判事補の方でありますが、この判事補が型のごとく勾留理由開示手続、つまり人定尋問、理由の開示、さらに続いて被疑者並びに弁護人の意見の陳述は至って平静裡に終了しまして、裁判官は閉廷を宣して退廷せんとするそのせつな、俄然法廷内におった約200人の傍聴人、大部分は朝鮮人でありまするが、幾分は日雇い労務者も加わっておったようであります。この200人の傍聴人が被疑者の周辺に殺到して、またたくまに被疑者を拉し去って法廷外に逃がし、さらに裁判所構内から逃走せしめた。これには法廷外にいた約100人ばかりの朝鮮人も相呼応して逃走を容易ならしめた、こういう事実でありまして、逃走後、待機していた警察官がただちにこれを追跡して、うち1名は広島市内で逮捕したのでありますが、他の2名はその後杳(よう)として姿がわからぬ、こういう事情であります。

そこで法廷の開始前後、裁判所の法廷内外の状況を申し上げるのでありますが、まず開廷までの状況を申しますると、担任裁判官幸野判事補はこの期日について、できる限り平静裡に勾留理由開示を終了したい、またおそらく平静裡に終了し得るであろうということを期待したのでありましたが、しかし事案の性質、また客観的社会情勢を考慮しますると、あるいは不慮の事件が起りはしないかということをおもんばかり懸念いたしまして、法廷警備並びに裁判所構内の秩序維持という趣旨で、広島市の警察署に、検察庁を通じて警察官、警察吏員の派出方を要請してその了解を得ておったのであります。

一方当日午後でありますが、判事室では午後0時半、1時前ごろに係裁判官と訟廷課長と拘置所の看守長が判事室で開廷時刻の打合せ、同時入廷というようなことを打合せしようとした。そこへ約40数名の朝鮮人がどやどやと判事室に入って来た。そこで裁判官はその不法を責めて、ここで話は一切できない、退去しろということを命じたのでありますが、なかなかそれに応じない。

たまたまそこへちょうど被疑者の弁護人である高橋弁護人が判事室に入って来ましたので、その弁護人にも協力を願って、被疑者関係の朝鮮人と協議して、そうして弁護人のあっせんによって代表者10名に限って面会する、他の全員は階下に退去すべし、面会時間は15分間に限る、こういう約束のもとに面会したのでありますが、多数の朝鮮人は判事室からは出て行きましたけれども、廊下には依然多数集まって退去する模様がない。

そこでそのままで裁判官は代表者10名と判事室の隣の応接室で面接したのであります。なお他の裁判官もその廊下から退去することを再三要望したのでありますが、依然として朝鮮人は退去しない。そこで当該裁判官以外の判事が事態のあまりに急迫しておるような情勢を看取しましたので、たまたまこの事件の関係で来ておりました市の警察署員に対して、即刻警察官を派遣してもらうようにということを要求させたのであります。

そうして一方裁判官は代表者と折衝をする。そこへ摑原、原田という弁護人も来られたので、折衝を重ねたのでありますが、被疑者の方では即時釈放を要求し、裁判官はこれを拒絶するということで約10分間ばかり交渉してものわかれになって、裁判官は裁判官室に引揚げたのであります。

間もなく裁判所の要求によって約1小隊と申しまするか、30数名の警察官が裁判所へ参ったのでありまするが、被疑者の関係の朝鮮人たちは依然として即時釈放、スピーカーの設備というようなことを波状的に判事のもとへ押しかけて要求する。判事はこの要求を拒絶しておる、こういう状況のところで、隣の裁判官が応接室で交渉しておるのでありますが、その隣の判事室にいた裁判官が電話で、こういう情勢ならばただちに警察官を出動さす方がよいのではないかということを、交渉中の裁判官に電話をかけますと、その電話を聞いたためか、押しかけていた朝鮮人が全部退去した、こういうのであります。

ところがその後、一方法廷内には約150~160人の朝鮮人が入廷しておりまして、被疑者が看守に伴われて入廷すると騒然となって、手錠をはずせとか、即時釈放しろとか、やはり同じようなことを言って拍手、声援を送る。廷吏がこれをしきりに制止したけれども、それを聞き入れようともしない。こういう状況のままで進行するならば、法廷占拠というようなことが起るおそれがあるというふうに考えられたので、裁判所はさらに1小隊の警察官の増遣方を求めて、そうしてその裁判官がその増援がただちにあるということを聞いて法廷に入ったのであります。

それが開廷前の法廷外の状況でありまするが、裁判官が入廷しましてからの内部の状況を申しますると、裁判官が入るまでは、ただいま申しました手錠をはずせとか、即時釈放しろとか、あるいは万歳とかなんとか拍手をする、声援をするというようなことでかなり騒然としておったのでありますが、裁判官が入廷するや急に静粛になって、そこで勾留理由開示審理が開かれたのであります。その間多少の騒ぎというようなことも聞えたのでありまするが、格別に審理を進行できないような様子も見えない。このままならば、あるいは平穏裡に経過するのではないか、こういうふうにまず一般に考えられたのであります。しかし法廷外では法廷に入り切れない傍聴人が各出入口に蝟集しておるという状況であります。

そこへ第2回目に要求した警察官1小隊がやって参りまして、警察官の数は約70数名になったのでありますが、これらの警察官をあまり廊下やまた法廷の直近に置くということは、かえって彼らを刺激するのではないかということもおもんぱかって、それぞれ判事室あるいは書記官室に待機させて置いたのであります。

そうして法廷が開かれて、法廷内が平穏裡にやや閉廷直前という状況になりましたが、そのころに法廷外におる裁判官――われわれの方では閉廷直後に判事や検事の身辺の安否あるいは記録の保全ということが脅されはしないかということを考えたので、その際警察官を派遣すべきではないかという意見もあったのでありますが、せっかく法廷が平静裡に穏やかに進行しておるのに、外部からそういう刺激を与えて、かえって混乱に導き、不祥事を起すというようなことがあってはならないという考えもあって、警察官はそのまま各部屋に待機せしめて、裁判所の職員約20名がそれぞれ急を告げる連絡係として待機したのであります。

ところで、ただいま申しますように、すでに意見の陳述も終了して閉廷になりますると、非常な混乱に陥ったのでありますから、ただちに警察官に出動を求めると同時に、裁判官も退廷しようとしたのでありましょうが、できませんし、そこで警察官がただちに出動したけれども、ときすでにおそくて、冒頭申しましたように、彼らは多数の同志に擁ぜられて法廷外に逸走し去った、こういう事情なのであります。

ただその間に裁判官は自分の身辺の不安を感じつつも、記録も持ち出さなければならぬというので、記録をただちに廷吏に渡すと、廷吏が朝鮮人たちの非常な妨害を排除しつつ窓から飛び出して、その記録はリレー式に送って無事に持ち出すことができた、こういう状況であったわけであります。それが退廷前後の法廷外の状況であります。

次に法廷内の事情を申しますると、裁判官は法廷に入ろうとすると、その周囲に10数名の男女の朝鮮人がおるので、裁判所の他の職員に対して出入り口に数名の警察官を配置しておくようにというようなことを命じておいて法廷に入ったのであります。

入ってみると、ただいま申し上げますように、入るまでかなり騒然としていた法廷が急に静かになって、それで型のごとく人定尋問、勾留理由開示、さらに被疑者及び弁護人の意見の陳述を終って、その間、ときに拍手あるいは声援があり、あるいはまた傍聴の朝鮮人が被疑者にコップで水を飲まそうとするようなこともあったが、その都度裁判官がそれを制止し、それを拒むと、すなおにそれに従って、予期したよりも平静な状態であって、裁判官に対して侮辱的あるいは攻撃的な発言態度というものは少しも見えなかった。

それで裁判官も、このままで行けるならば、思ったよりもより以上に平静に閉廷、終了ができるということで、陳述を終るとすぐに閉廷を宣して、みずから退廷しようとしたのでありますが、ただいま申し上げますように、すでにそのときには、閉廷を宣すると同時に、200人の廷内の傍聴人は被疑者の周囲に殺到して、渦を巻くように喧々囂々騒ぎ立てて、またたく間に被疑者を抱えて、頭から送るような調子で抱え出した。そうして廷外にいた朝鮮人もこれに応援して、ただちに裁判所の西裏門から逃走したというような状況であります。

裁判官が閉廷を宣して、ようやく被疑者が法廷の出口から4人ともほぼ姿を隠して、外へ出て行ったと思うころに、裁判官の身辺にいた朝鮮人が、引揚げろ、こう絶叫したので、傍聴人もがやがやと引揚げて行ったというのであります。

なおその際に、法廷内から外部に向ってか、あるいは法廷内の傍聴人に対してであったか、あれを投げるな、びんを投げるな、こういうことをしきりにどなっておったのでありますが、これはおそらくこの被疑事実と同様に、あるいは火炎びんというようなものを用意していて、もし被疑者の脱走が思うように行かないならば、火炎びん、あるいはその他の武器を法廷内に投げ込んで、その混乱に乗じて奪還するというような計画があったのではないかと考えられるのであります。

5月13日における匂留理由開示の法廷の内外、前後の模様は、ただいま申し上げた通りであります。





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