広島事件

昭和27年04月22日 衆議院 行政監察特別委員会
[009]~[018]
(略)

[019]
委員長(自由党) 内藤隆
国警の安芸、安佐両地区署の管内で、ただいまちょっと証人が触れておりましたが、3月1日に決行したいわゆる3・1事件ですが、この事件において北鮮系の朝鮮人集団はどういうことをやったか、ひとつこれを伺いたい。

[020]
証人(法務府特別審査局中国支局長) 梶川俊吉
3月1日の万才革命記念日において、大々的に闘争するということはかなり前から計画していたようでありますが、具体的には、2月の24日に民戦の中央の方から広島に指導者が参りまして、指導してから表面だって来たようであります。そうして2月の25日ごろから、前日の2月の29日まで、日本人側と朝鮮人側で再三個別に、あるいは両者合同で計画の会議を持っております。

その計画によりますと、広島で総評系の開く弾圧法規反対の大会を利用するということが骨子でありますが、それが通らなければ、広島の市民広場で独自で無許可の集会を持つ、そこを陽動作戦として広島に警察力を集中する。そして県内の尾道であるとか、呉であるとか、可部であるとか、あるいは海田市、大竹、そういうふうな県内の各所でそれぞれ朝鮮人が行動を起す。そうして警察力の分散をはかっておいて、最後に広島に集結する。

こういう方針を立てているのでありますが、その現われと申しましては、3月1日のまず、海田市地区、これが安芸地区になるわけでありますが、海田市地区では、1日の午前10時ごろから解放救援会の事務所に広島、安芸、可部方面の北鮮系の朝鮮人約130名が集合して、記念大会を開いて一応それは11時ごろに終っておりますが、大会が終ったあとで、一部の朝鮮人、60名くらいが、広島に向って出発しております。

それから11時30分ごろに、海田市町の税務署に70名くらいの者が押しかけて、朝鮮人側の代表者5名と、税務署の署長、間税課長、これらと面接しております、密造酒の取締りを撤廃しろということを交渉して、税務署側の2人の代表者をとり囲んで、約1時間交渉したのでありますが、拒絶されたために退去した。その際に催涙びんを2箇、税務署の屋内に投げて帰っております。

それから一旦税務署を引揚げた後に、約20名くらいの者が、民団の事務所を襲撃する目的でこん棒、手おの、催涙びんを持って、午後4時ごろ民団の安芸支部の事務所を襲撃して、事務所におりました団長の金龍鎬、議長の李昌煕、李初鐘、この3人のいる2階に6名の者が土足で上って、電話線を切り、民団支部の旗を倒して、畳、ふすま、机、いすなどをぶちこわして、議長2名と格闘した上、李初鐘は前額部に切傷1箇所、顔面打撲傷数箇所、李昌煕には後頭部に切傷1箇所、顔面に打撲傷を与えて、午後4時20分ごろ退散しております。国警の安芸地区署では、ただちにこれが捜査に着手して、同夜すでに李龍文という朝鮮人と、金文禎という朝鮮人と、李点俊という朝鮮人、それから矢野町の金判守という朝鮮人、合計4名の容疑者を検挙しております。

なおこの安芸地区署の闘争で注目せられるものとしましては、そういうふうな襲撃事件が終ったあとで、全部の婦女子まで朝鮮人を動員して、おのおの班をわけて、しつこく警察に釈放運動に行く、そして署長が釈放を聞き入れないと、署に子供を養えないから置いて行くというふうな態度に出る。検察庁に対しても連日班をわけて、数名あるいは数10名が押しかけて来る。検察庁にも約2週間くらい毎日来ておりました。

なお海田市方面におきましては、警察署長をたたき殺せというふうなビラを電信柱その他に張って、相当警察署長に対して脅迫を加えておるのであります。検察庁に対しましても、3月11日の勾留理由開示公判の法廷に、約300名が押しかけまして、300名の者が検察庁職員などに暴行を働いております。

なお当日はいわゆる尾道、大竹等においてもデモが行われましたが、これらはいずれも平穏でありました。安佐地区署の管内、地名で申しますと可部でありますが、可部におきましては、まず2月27日に安佐地区の民団の団長に対して、死にたくなければ民団を解散しろという脅迫文を投げ入れておりますが、さらに3月1日当日になりますと、午前8時半頃、北鮮系の朝鮮人が160名くらい可部に集りました。型通り記念式をやり、町役場に押しかけて、朝鮮人の自律教育を認めよ、生活困窮者に保護法を適用せよ、同籍選択の自由を認めろという要求をしたのでありますが、町長不在のため、比較的おとなしく約20分間で退去しております。

これらの集合者が2つの隊にわかれまして、1隊30名くらいは可部に、他の1隊は広島に行っております。可部に行った者にはさらに30名くらいが加わって、合計60名くらいが可部の税務署に押しかけ、そのうちの30名くらいが税務署の2階に行って、署長に面会を求めました。署長、課長が不在でありましたために、前のしょうちゅうの検挙事件はどうするかというふうに脅迫をした後、帰る際に、催涙ガスのびんを1個やはり税務署の中に投げて帰っております。それから可部の税務署から引上げた60名が、今度は町役場に行って町長に面会を求めたのですが、これも町長がいないために引上げております。

なお国警安佐地区署にも一部押しかけておりますが、その際は別に暴行はなかったのであります。そうしてこの安佐地区のデモ隊の100人あまりが、午後の4時半ごろ広島におもむいて、広島で行われた総評の決起大会の流れの自由労組のデモ隊の40人くらいと一緒になりまして、そこで市警本部、広島市の西警察署の前で無許可のデモをやった。そうして特審の中国支局の前に来て、先ほどお話しいたしましたような暴行を加えたわけであります。

[021]
委員長(自由党) 内藤隆
その特審の支局の襲撃のいきさつ等をひとつ述べてくれませんか。

[022]
証人(法務府特別審査局中国支局長) 梶川俊吉
大体事前には、権力機関を襲撃するのだということにきめていたようでありますが、西署を通って、それからどこをやるかというときに、特審をやろうということを唱道した者がいる。それから特審の中国支局に押しかけて来たのでありますが、デモ隊は約180名くらい、数10本の赤旗、プラカードを持っております。これはあまり大きなものでなくして、振りまわすのに手ごろな大きさにつくってあります。そうしてそのプラカードには五寸くぎが打出してあって、けっこう兇器として使えるという性質のものであります。

そうして支局の前に来ますと、ジグザグデモをやる。支局の車寄せのところを数回旋回して、そのプラカードその他で玄関のガラス戸をぶちこわす。全部で7枚こわれておりますが、そうしてなお支局の特審局の者が写真をとろうとすると、その写真班に向って石を投げる。

なおその際、キリスト教系の友和会の会員がそのデモにまじっておったのでありますが、それが制止したところ、それを特審局員であるというように誤認して、石でもってなぐり、前額部を割りましてなぐり倒した。それがぶっ倒れたあと引上げたのでありますが、一旦引上げたあとで、ぶっ倒れたのが自分たちのデモの中の一員であるということがわかったために、それの収容にまた一旦引返した。それを収容して、午後5時半ごろ解散したのであります。

特審局に来ましたのが、午後の4時55分ごろでありました。なお引上げたあとで、プラカードを自由労組の組合の事務所の中で燒き捨てるということをやっております。大体そういうふうな状況であります。

[023]
委員長(自由党) 内藤隆
その当時、警官の警備状況が非常に稀薄であった関係上、特審局支局の方が非常に奮闘されたようで、現場の写真等を大分とられたようですが、それをお持ちになっておりますか。

[024]
証人(法務府特別審査局中国支局長) 梶川俊吉
持っております。なおその一番あとの写真のプラカードの分だけは、これはそのときに焼き捨てたために、その後のデモに使われたものを、それと同様なものであったと現認者が現認しましたので、同様なものを表わすためのものであって、一番あとの分だけは本物ではないのです。

[025]
委員長(自由党) 内藤隆
最初のかついでいるものは、これは本物ですね。

[026]
証人(法務府特別審査局中国支局長) 梶川俊吉
それは本物です。

[027]
委員長(自由党) 内藤隆
写真等を見ますと、非常に武器にひとしいものを使っておるようですが、プラカード、催涙ガス弾、それらからこの火焔弾というのはどういうものですか。

[028]
証人(法務府特別審査局中国支局長) 梶川俊吉
そのときは火焔弾は使っておらないのであります。催涙ガスはかなり効力があって、あそこは上下約400坪の建坪のものでありますが、階上階下ほとんど弥漫(びまん)する。相当効果があります。

[029]
委員長(自由党) 内藤隆
そのプラカードのどこか先の方に五寸くぎか何かくっつけておったということですが……。

[030]
証人(法務府特別審査局中国支局長) 梶川俊吉
プラカードの板に五寸くぎを打抜いて、先を出して、それをもってたたくというなものであります。

[031]
委員長(自由党) 内藤隆
事前の情報、あるいは実際にやった状況から判断して、この事件の背後には強力な指導勢力が事前に動いておったというふうに推測されるのですが、事件後その実態が明瞭になりましたか。

[032]
証人(法務府特別審査局中国支局長) 梶川俊吉
その3・1闘争の直後、3・1闘争に学ぶものという文書を私どもの役所で入手いたしております。その文書によりますと、ずっとその3月1日の前からの政治情勢と経過の概要というのが書いてあります。その次に党の工作という題名でいろいろ書いてありますが、そのうちに、

「賃金を要求する春期賃上げ闘争の底流となって高まって来た、これをつかんで、党はこれまでの合法主義を打破し、全力を結集して実力行動に出、社会民主主義の影響を断ち切り、大衆とともに平和と独立の闘う行動の統一を打ち出して行くことを決定した。

朝鮮人は労働者の闘いと政治的に呼応し、実力行動をもって先進的役割を果すこと、市内全党員は自労とともに労働者の大会に参加すること」

云々とずっとありまして、その終りに

「県、地区がこの態度と方針を決定して以来、5日の間に広島市を中心とする全党員にこの方針と具体的な任務が下され、全員漏れなく部署について工作が開始された。伝単朝鮮人5000枚、各S2000、流しビラが拠点経営中心に数1000枚、民商より軍事予算と悪税暴露のアッピール1万」

なお当日の状況という項目がありますが、そのあとで3・1事件の政治的評価として

「また自労、朝鮮人隊が労働者の悪法紛砕大会の中で、弾圧ファッショ支配機構の中枢、特審、マルケを実力で攻撃し」

云々、それからCの項目に

「最大の成果としては、1年余りの党分裂の闘いで大衆との結合も弱まり、敵と生活に負け、孤立感と日和見、合法主義に毒されていた党が、この闘いを通じて県、地区、細Sまでが一丸となって闘い、日和見と合法主義を打破し、大衆の前に敢然と闘いの前衛として姿を現わし、その役割を果した。これによって意思の統一と闘いの確信をとりもどした。

なお朝鮮人及び自労の闘い、その中で中核として行動した〇〇隊の初陣の勇敢な闘い、行動は称讃さるべきである。」

さらに今後の方針というところに、

「広島の3・1闘争の経験をただちに全県に一般化しなければならない。そのためにこの闘いの意義と正しい評価を全党、全大衆のものにせよ。」

云々

「闘いの火ぶたは切られたのである、闘いを休めば敵は必ず反撃に出る。われわれの闘いは常に先手々々と攻撃し、敵を奔命に疲れさせなければならない。広島を孤立させるな」

云々、以上で一番終りに、

「闘いのために不滅のマル秘態勢を闘いとろう」

ということが書いてあります。

なお祖国防衛全国委員会機関紙「新朝鮮」西日本版というのに、社説的な欄として、「3・1闘争をさらに発展せしめよ、西日本民戦祖防の呼訴文」というのがあります。その中では

「この闘争における組織動員は兵庫の7000余名、大阪の5236名を筆頭に、実に2万1036名、当日のビラ撒布80万4500、大会が80箇所で決行され、その闘争の先頭にいまだかつてないほど多くの愛国青年が結集され、在日同胞の中核隊と祖防隊と青年行動隊が中心となり」

云々とありますが、さらにその新聞の第4面のところに

「20キロのデモと5時間の乱闘、広島で〇〇〇弾も行使」

という見出しで3・1闘争のことが書いてありますし、

「古市同胞特番局へも〇〇〇弾」

云々ということが書いてあります。大体以上によりまして、私どもとしてはその背後関係を疑わしめるものがあると思うのであります。

[033]
委員長(自由党) 内藤隆
ただいまの証人の陳述で、特審中国支局襲撃の事件の内容はほぼ明らかになったと思いますが、要するに3・1記念大会というものと、それから総評の弾圧法粉砕大会というもの、これが同一に行われておったのですな。

[034]
証人(法務府特別審査局中国支局長) 梶川俊吉
はあ。

[035]
委員長(自由党) 内藤隆
これを機会にそこへ自由労組の連中がさらに割り込んだ、そうして朝鮮人と合流して特審局襲撃をやった、こういうことなのですね。

[036]
証人(法務府特別審査局中国支局長) 梶川俊吉
ただその総評の大会とそのデモ隊との関係は、総評系の広島県労働組合会議、当日の主催者でありますが、これは極左系のものは入れないという方針をとっておったのであります。そうして自由労組系の者が来ました場合に、それの入場を拒絶したのでありますが、吉田治平という共産党員であり、自由労組の書記長が、労働者の自由労組であるのにそれを大会に入れないのはけしからぬということで、2つの条件を付してその大会に参加することを容認したのであります。

その2つの条件と申しますのは、1つはデモに参加してはならない、それから向うの指示に従うことというふうな条件があったのでありますが、その中に入ってしまいますと、大会が明らかに市役所前で解散しておりますのに、その自由労働系統の者だけが無許可のデモを行って、特番局を襲撃したという順序になっております。

[037]
委員長(自由党) 内藤隆
かような暴力革命の前衛隊のような北鮮人は大体何を根拠に生活しておるのですか。

[038]
証人(法務府特別審査局中国支局長) 梶川俊吉
北鮮系だけでございますか。

[039]
委員長(自由党) 内藤隆
北鮮系だけです。

[040]
証人(法務府特別審査局中国支局長) 梶川俊吉
これはいろいろの雑業に従事しておるのでありますが、最も注目せられるものとしては、密造酒に従事しておる者も相当おることは、今までの国税局方面の摘発によりましてもはっきりいたしておると思うのであります。

[041]
委員長(自由党) 内藤隆
中にはさような大会等にまじって、暴力革命の前衛のようなそういう指導をするために、もぐり込んで来たような北鮮人はおりませんか。

[042]
証人(法務府特別審査局中国支局長) 梶川俊吉
この襲撃事件をやります場合には、地元の者では顏を覚えられておる、そこで他地区の朝鮮人を動員してこれにやらせるというのが最近の傾向になっておりまして、現に広島の特審局を襲撃しました者も、他地区から来ておる者が相当ある、こういうふうに見られております。

[043]
日本共産党 山口武秀
先ほど証人は中国地方におきまして中核自衛隊が結成され、それがほぼ完了した、このように言われたのでありますが、ここで証人の言われました中核自衛隊というのはどのようなものであるのか、これを御説明願いたいと思います。

[044]
証人(法務府特別審査局中国支局長) 梶川俊吉
中核自衛隊は最近われわれの方で入手いたしております五全協の決定、それから、球根栽培法にも出ておりますが、中核自衛隊の組織と戦術を発表するにあたって、それからなお「当面の組織と戦術」というふうな文書を検討してみますと、日本において人民軍という軍隊を共産主義者がつくる。そこへ持って行くまでの前提として中核自衛隊という、きわめて初歩的な、しかして軍隊の基本単位となるものをつくる。それが中核自衛隊の性格である、こういうふうに解釈いたしております。

[045]
日本共産党 山口武秀
そうしますと、共産党が中核自衛隊を人民軍の初歩的なものとしてつくると決議されていることを、あなたは確認されておりますか。

[046]
証人(法務府特別審査局中国支局長) 梶川俊吉
私は日本共産党という言葉は使用いたしておりません。

ただ私は確立しておるという言葉は使っておりませんが、ほぼできておる、しかもある特定の地点にほぼできておるということは、はっきりと申し上げます。それは山陰Bというところから上部に報告をしたと見られる文書を、私どもは入手いたしております。

それによりますと、島根県本庄、生馬、松江、安来の各地には中核自衛隊が結成されており、党は2月10日うさぎ狩りに託して全員を動員し、集合、解散その他の訓練を実施したということがはっきりと書いてあります。大体さような根拠によって、私どもとしてはそういうふうに推認しておるということを申し上げるのであります。

[047]
日本共産党 山口武秀
推認されると言うならば、これはさらにお尋ねしても意味がないと思いまするが、こうした中核自衛隊というものが何者かによってつくられつつある。その中核自衛隊というものは、単に人民軍がつくられるということの前提として、第一歩としてだけ生まれたものであるか、それとも中核自衛隊というものは、中核自衛隊として一定の目的を持って生まれたものであるか、この点はいかがお考えでしょうか。

[048]
証人(法務府特別審査局中国支局長) 梶川俊吉
それはもちろん中核自衛隊をつくるには、そこにひょっこり無から有が生ずるものではありませんから、私どもがそれらの文書によって検討しましたところによりますと、まず中核自衛隊をつくる前に、その前提として抵抗自衛運動を全国に巻き起す。あらゆる学校、あらゆる工場、あらゆる職場において、中核自衛隊が結成できるような雰囲気を巻き起す。あらゆる問題に対して国民の不平、不満をとらえて、そこであらゆる闘争を組織して行く。その闘争が巻き起ったところを基盤として、中核自衛隊をつくる。こういう順序であると私は解釈しております。



[304]
委員長(自由党) 内藤隆
さいぜんの特番局の中国支局長の梶川俊吉君の証言によりますると、中国支局管内に大体5万の朝鮮人がおるという証言がありましたが、この5万のうち広島県国警の安芸、安佐両地区署管内における朝鮮人の状況について、簡単にひとつ説明を願いたいと思います。

[305]
証人(国家警察本部警備部第二課長) 平井學
広島県には県全体約1万6000人の朝鮮人がおりまして、そのうち安佐地区署の管轄区域である安佐郡には朝鮮人が約1097名、それから安芸地区警察署の管内である安芸郡には大体1500名の朝鮮人が居住しております。

そのうち安佐地区署管内の1097名の朝鮮人のうち、本日問題になっておりますところの可部町に150名、祇園町、これは安佐地区警察署があるところでありますが、ここに250名、それから同じく問題になっている古市町に330名が住んでおります。その大半が、いわゆる北鮮系と申しましょうか、普通にいわれる民戦系の朝鮮人であります。職業は古物商あるいは農業あるいは密造酒等によって生活を営んでおります。しかもこの安佐郡下の朝鮮人には、広島県下の最も尖鋭な活動的な分子が含まれております。

次に安芸地区署管内の朝鮮人の詳細を申しますと、本日やはり問題になっておりますところの船越町、ことに大半の837名が居住しております。次に税務署関係で出て来るところの海田市町には174名が住んでおります。これは前に申し上げました安佐郡の朝鮮人に次ぐ有力な活動的な朝鮮人の団体でございます。大体以上でございます。

[306]
委員長(自由党) 内藤隆
この国警地区の安芸、安佐両地区管内で、3月1日に決行された北鮮糸の朝鮮人集団のいわゆる3・1闘争、この事前の警備あるいはこの大会当日の状況等を簡単に述べてください。

[307]
証人(国家警察本部警備部第二課長) 平井學
3・1記念日の事前の情報を簡単に申しますと、2月27日、当時の朝鮮人の不穏な活動を察知すべき事件として、安佐地区警察署管内の可部町に民団の安佐郡の支部長がおりますが、その宅に対して午後11時ころ何者かが催涙液の入ったびんを投げ込んだ事件があります。同じく27日の夜、催涙液を投げ込まれた民団の支部長の家並びにいま1人の民団員の宅へ、民団を解散せよ、履行せぬ場合には殺すというような脅迫的記事を記載したビラを投入しております。そういう事実から、当日民団の幹部が襲われるかもしれぬという情報がここに出て来たのであります。

続いて安芸郡の安芸地区署管内の船越町並びに安佐地区署管内の古市町、こういう方面を中心に2月下旬民戦側の朝鮮人幹部の動きが活発になって、ほとんど連日会議を催しておったような様子が出ておりますが、内容はわかっておりません。わかっておりませんが、諸般の事情から総合しまして、3・1記念日に朝鮮人が中心となって警察あるいは税務署、役場、こうしたいわゆるかれらの権力機関に対して襲撃をかけようという企図が大体察知されておりました。

それで国警広島県本部としまして、どういう対策ないしはどういう事前の警備措置をとっておったかと申しますと、事前に――2月28日に、広島市警察本部において広島警察管区本部、広島県本部、広島市警、特審局、高等検察庁並びに広島地検、この関係者が集まりましてお互いに情報を持ち寄って対策を協議いたしております。大体各機関とも私がただいま申し上げたような、朝鮮人についてどうも不穏な計画があるらしいという情報におおむね一致しております。

同じく翌29日、広島地検におきまして、ただいま申し上げましたような関係機関をさらにもう一回集まりまして、対策を協議いたしました。問題になったのは、必ず集会デモ行進があるはずであるけれども、これをいかに取締るか、事前に禁止するか、あるいは許可するかというような点でありますが、国警の管内におきましては公安条例のあるところは全然ありません。そこで国警としましては、事前禁止の措置はとらない、不法行為をやらない限りは集会もデモ行進も禁止すべき筋合いのものではないということで、一応集会並びにデモ行進をやらせる、そのかわりに不法行為をした場合には断固これを取締る、こういうふうにこの協議会で意見を申しました。

ところが市警の方でも、市警にはむろん公安条例がございましたけれども、国警がそういうふうに、不法行為を働かざる限りは、一応集会並びにデモ行進を許可する、こういう方針をとるならば、市警も公安条例はあるけれども、できるだけ許可する方針をとって行こう、こういうふうな協議がありました。

但し国警としましては事前情報のいきさつもありまして、この問題になったところの安佐地区署並びに安芸地区署に対して、県下の他の比較的事件の起りそうもない警察署から少数ずつ抜きまして、総勢200名余りの警察官を、この安芸地区署と安佐地区署に当日臨時応援警察官として派遣することにいたしたのであります。広島市警からは、一応自力で警備ができる見通しのもとに、格別の応援の要請はしておりませんでした。

大体以上が事前の情報並びに警備対策であります。

[308]
委員長(自由党) 内藤隆
そうするとあなたの今の証言によると、安芸地区あるいは安佐地区の国警の管内には公安条例というものがないから、この大会を禁止するという方法がないので、大会並びにデモ行進は認めた、こういう証言ですが、安佐地区におる1097名という北鮮人は、最も尖鋭分子であり、闘争の経験を持っておるという御証言で、そういう者に許せば、その大会を理由にして暴力行為、いわゆるこういう各署を襲撃するような恐るべき計画なり、実行をするということを事前においてお考えにならなかったですか。

[309]
証人(国家警察本部警備部第二課長) 平井學
事前情報によりまして、そういう不法行為を働くかもしらぬということは考えておりましたが、現在の取締り法令の点から申しますと、われわれ警察官としましては、はっきりした取締りの根拠法規がない以上は、事前の禁止、そうしたものは公安条例があればいざ知らず、ない以上はできないという事情でありますので、警戒態勢はとりながら、禁止措置はとらなかった、こういうのが事実であります。

[310]
委員長(自由党) 内藤隆
それで当日すなわち3・1記念大会ですね。

この大会場に、あなたの方から警備の関係において国警の警察官が派遣されておったわけですな。

[311]
証人(国家警察本部警備部第二課長) 平井學
大会と申しましても、これは御承知のように尾道市あるいは呉市、大竹町、それからただいま申しました船越、古市、そういうところで、少いところは50名程度、多いところで大体200名程度の記念式典というようなものでありましたので、1名、2名の警察官が様子を見に行きました。これは屋外の場合は別に問題がございませんので、私服警察官が警戒の意味で様子は見に行っております。

[312]
委員長(自由党) 内藤隆
しかし大会はどこか1箇所に集まってやったのではありませんか。

[313]
証人(国家警察本部警備部第二課長) 平井學
私どもが広島県本部から受けた情報では、1箇所ではありませんで、ただいま申しましたように、大竹町、呉市、尾道市、古市町それから船越で、それぞれわかれてやったように報告を受けております。

[314]
委員長(自由党) 内藤隆
そこで大会というようなものが終ってデモ行進に移ったわけですね。そうして襲撃された場所は可部の税務署、海田市の税務署の税務署2箇所、役場が古市町の役場、祇園の役場、それから船越町の居留民団、約5箇所を襲撃しているのですが、この襲撃した場所について、御承知ならば簡単にその襲撃の状況をひとつ御説明願いたい。

[315]
証人(国家警察本部警備部第二課長) 平井學
わかりやすいように簡単に地理的な関係を申しますと、可部町というのは広島市から大体16キロの地点にある町であります。古市町というのは可部に行く途中でありまして、広島市から大体10キロ程度のところにある。祇園町は安佐地区警察署のある町でありますが、これが大体8キロの地点、これは大体広島市から一直線に並んでおります。

それから安芸地区署管内の海田市並びに船越の関係を申しますと、船越町というのは広島市から大体6キロの地点にある町であります。海田市というのは船越町からわずか1キロも離れておらない程度のほとんど隣接の町であります。

そこでまず可部の税務署の襲撃事件から申しますと、当日3月1日午前9時ごろ、古市町の朝鮮人の中心地である部落に、朝鮮人が大体180名くらい集合いたしまして、朝鮮語で演説をして気勢をあげております。10時ごろからプラカード60本くらいを手に手に持って古市町の役場にデモ行進をしております。役場で何をしたかと申しますと、別に不法行為を働いておりません。朝鮮人子弟のみの小学校分校を設置してくれ、朝鮮人の専任教師を雇ってもらいたい、教育費の負担をしてくれ、こういう3点を中心に要求をいたしまして、11時30分ころ引揚げております。

ところがその後約60名くらいが三々伍々、この古市町から可部町へ来る――距離が5キロくらいあると思いますが、バスまたは電車等によりまして可部町に行きまして、可部税務署に押しかけた。そこで署長がおらなかったものでありますから、署員に対して密造酒の取締りの不当をなじり、一応合法的な談判――陳情と申しましてもはげしい陳情であります。談判をやりまして、そこまではよかったのでありますが、帰りぎわに150CC程度のびんに入った催涙液、これは後ほど鑑識で分析してみますと臭素クロームとアセトンの混合液だそうでありますが、これを帰りぎわに事務室の机の上に投げつけて、さっと引揚げてしまったのであります。この液は後ほど税務署員が医師の診断によって見てもらいますと、急性眼瞼結膜炎、急性刺激性咽頭炎を起させる液体だそうであります。

そこへ私服警察官が2、3名、警戒と署に対する連絡の意味で派遣されておったそうでありますが、帰りぎわにびんをいきなりぱっと投げてそのままさっと引揚けたので、警戒員が本署へ連絡して本署から警察官が来たときには、すでにもう引揚げて逮捕できなかった、こういうのが実情であります。

次にこの可部税務署を襲撃した一隊と思われる者が、今度可部からただいま申しました4キロないし5キロばかり離れておるところの古市町に現われまして、古市町から今度はさらに約1.5キロほど離れた祇園町、ここは警察署の所在地でありますが、祇園町の役場に行きましたけれども、町長がおらなかったために事なく引揚げております。

次にこの一隊が、さらに午後1時半ごろ安佐地区警察署へ押し寄せております。これは密造酒取締りの不当について署長に談判するというので、署の前へ集まったそうでありますが、署長の方で解散を命じたので、これは何らなすところなく解散をいたしましたけれども、それから先約130名の者が、徒歩で広島市に向って出発をしております。これは午後2時50分ごろ解散したという報告でありますので、およそ距離が8キロ、約2里少々の距離でありますが、徒歩でぞろぞろと広島市に向ったのであります。しかもこの半分以上は女子並びに子供の一隊であります。それで警察の方でも、いわゆる型にはまった集団デモ行進というふうには見ずに、いささか軽く見た節があったのではなかろうかと思っております。この旨は同時に電話で広島市警の方には通報はいたしてあります。

次に安芸地区署管内の状況を申しますと、やはり午前11時半ころ、安芸地区署の朝鮮人部落の中心地である船越町、この民線の地区事務所に朝鮮人約60名が集まりまして演説を行い、気勢をあげまして、正午前ころプラカードを40本くらい立てまして、海田市税務署に参っております。この海田市税務署というのは、この部落から徒歩で約20分くらいのところであります。海田市税務署に参りましてこれは税務署長がおりまして、これに対して密造酒取締りを緩和せよ、われわれの生活を破壊するなというような要求をしたのでありますが、午後1時半ころになって、税務署の方で退去要求をいたしました。

それまでは合法的な談判に終始したのでありますが、署長が退去要求をいたしますと、この60名ばかりの朝鮮人が引上げぎわに、玄関のところと応接間のところに2本同様の催涙液入りのびんを投げつけてぱっと退散したのであります。当時警察の万でも不法行為を予期しておったのでありますが、彼らの行動は、いわゆる合法と非合法のすれすれのところを巧みに行くという戦法と思われますが、談判に終始すると見せかけておいて、帰りぎわにさっとこういうびんを投げつけて行くという、実にすばやい巧みな行動に対して、実は警察の方で逮捕するのが間に合わなかったように聞いております。

それでこの税務署を出た一隊は、午後一旦部落に帰ったような様子でありますが、それが再び午後4時ごろ、部落から30~40名程度の者が出て参りまして、広島市方面に向ったのであります。ところが広島市方面に向うと思われたその一隊のうち約30名程度が、いきなりぱっとこの同町にある民団の安芸支部の事務所に押し入りまして、そこにやはり催涙液の入ったびんを室内に投げ入れ、窓ガラス等を破壊し、民団支部長を殴打暴行を加えて引上げたのであります。

警察の方でも、支部長の宅に対して襲撃があるかもしれないというので、かねて警戒はいたしておりましたが、これまた現場で逮捕するに至らず、わずかに道を迷ったとおぼしき1名を逮捕したのみで、その当日は逮捕しておりません。これは翌日逮捕しておりますが、当日は逮捕しておりません。

この人間が、約20~30名だと思いますが、これが徒歩で広島市に向いまして、後ほど申し上げたいと思いますが、可部から参ったこの30名程度の婦女子を交えた一隊と広島市において合流しまして、市内をデモ行進した、こういうわけであります。

[316]
委員長(自由党) 内藤隆
そうすると、3・1記念大会というものを各所で開いて、そうして安芸地区と安佐地区の両方から、暴動化して広島市内に流れ込んで来た、こういうことなんですね。そうしてこれが合流して特審局の方に襲撃をして行った、こんな径路になりますね。

そこでその襲撃に使った武器、北鮮系の朝鮮人が集団的に使った武器というものも、大体当委員会から派遣して行きました委員各位のお調べ、事務当局のお調べでよくわかってはおるのですが、そのうちのたとえば催涙弾とかいうのは、どういう径路でこれが製造され、あるいは入手されたか、おわかりになりますか。

[317]
証人(国家警察本部警備部第二課長) 平井學
催涙液は分析の結果、臭素クロームとアセトンのまじったものであることはわかっておりますが、どこからだれが入手したかということは、確信を持てる程度にはわかっておりません。むろんこれがわかれば、現在起訴されている人間の公判上まことに都合がいいのでありますが、ただいま確信をもってお答えできるほどはっきりわかっておりません。

この薬品は市内のどこでも売っている薬でありまして、別に証明書をいらないように聞いております。いろいろどこそこの薬品店で買っただろうといううわさ程度はわかっておりますが、しかし現在のところ、それを買った者が、その当日襲撃に使った催涙液に使用したかどうかというその結びつけはできません。

[318]
委員長(自由党) 内藤隆
大体そういう科学的な知識を朝鮮人がみながみな持っておるとは思われませんが、結局どっか背後関係があって、さような者を指導しておるという推定はできるわけでありますね。

[319]
証人(国家警察本部警備部第二課長) 平井學
ええ。

[320]
委員長(自由党) 内藤隆
そこでこの各地に起りました事件をずっと一貫してながめてみると、もうほとんど同じ形において進行し、また同じような方法で襲撃等をやっておるのでありまして強力な指導勢力がこの背後に動いているのではないか、こういうふうにわれわれは考えるが、あなたの方ではその点はどうです。

[321]
証人(国家警察本部警備部第二課長) 平井學
結論から申しますと、背後に組織的な指導勢力があるということは確信を持って申し上げられません。

むろんこれが証拠の裏づけによって申し上げる程度であれば刑事事件にできるのでありますが、単にわれわれの方では、全国的に同じような性質の事件を総合し、諸種のうわさ等によって、あるいはビラ、あるいは関係者の機関紙、印刷物、こうしたものによって帰納的に推論することができるだけでありまして、はっきりした証拠に基いて断定することはできません。

できませんけれども、常識的な推測として、ただいま委員長の言われたようなことはできると思います。





昭和27年04月24日 衆議院 行政監察特別委員会
[572]
委員長(自由党) 内藤隆
3月1日に安芸と安佐両地区で決行された3・1闘争の実情をこれからお聞きしようと思うが、今あなたの証言中にあったが、民団支部が襲撃されたその実情から述べてください。

[573]
証人(大韓民国居留民団広島県本部団長) 金在賢
結局私たちが特に3月1日警戒したのが安芸、安佐であったのであります。なぜならばここには公安条例というものがないのです。集会ができるのです。いつでもデモなどはできるのです。

その前に特に不穏の空気があったのが脅迫状、ビラ、同時に催涙弾を投げつけたという事実にかんがみ、この2つが一番危ぶないという状況にあったが、そのとき私たちは――かれたちが今使っている戦法はゲリラ戦法を使っております。

私たちは防衛するのだ、何とかやっつけなければならぬ、私たちがじっとしておって命殺すのを待っているわけには行かぬ、それではどうすればいいか、竹やりをこしらえるとか、防衛隊をこしらえるというお話もあったのですが、それでは結局けんかになる。私たちは日本というよその国であるだけに、そういう問題を避けたい気持で、いろいろ刺激をさせる行為を避けたんであります。結局何もしない。ただ使嗾(しそう)、あおる条件があるから、何とか警備してもらいたいということを依頼した範囲で、ほかには何にもしなかったのであります。

しかるにこのときどういう状況にあるかといえば、午後4時、その前にいろいろ何があったのですが、午後4時前に、安芸警察から用件があるという電話があった。だから民団の人たちは幹部が4、5名、ごはんを食べずに待っておったが、結局警察が来れば大丈夫だというので、一応解散した。その解散してものの15分か20分以内に、向うから約50名がさっと来て事務所を取巻いた。

その中から6名が、民団の階段がありますが、その階段に上って来たんであります。上って来て、結局そのときみな解散したあとですから約5、6名民団の幹部しかおらぬときに来て、大きなプラカード――プラカードは武器なんです。その武器を持って来て、机の上に上って、たたき出して、団長を出せ、従って団長は、結局そういうことは予期したことなんだけれども、油断したときに急にぱっと来たのだから、あわてたのです。あわてて団長はどうすることもできなかったのです。

結局めちゃくちゃにやった。彼らは棒を持って来て、ガラスを破り、電話線を切り、机をこわし、ありとあらゆる器具をたたきこわして、ちょうどそれから15分から20分続いて、警察が来るという情報を聞くと、すぐさっと逃げ帰ったのです。
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