昭和27年05月07日 参議院 地方行政委員会
[003]
政府委員(国家地方警察本部警備部長) 柏村信雄
5月1日の第23回メーデーの状況について御説明を申上げたいと思います。
この第23回のメーデーは講和発効後初めての催しでありまするし、なお破防法反対のストの直後であることとか、統一メーデーが圧倒的に多いことなどのほか、独立によりまする解放感も反映いたしまして、一般的に活気のあるものであり、全国の実施個所も520カ所に及び、参加人員が約108万に達したのであります。
併しながら他方これに便乗いたしまして、極左系の学生、朝鮮人、自由労働者等は警察官とか米国へに対しまする極めて悪質な挑発的暴力行為による計画的撹乱を行いまして、遂に東京都皇居前広場での放火を含みまする騒擾事件、又京都におきましては、市役所、府庁、派出所等に対する襲撃を含みまする騒乱事件を惹起いたしたのでありまするが、全国的に見ますると、この東京と京都の場合を除くほかは一般に平静でございまして、特に御説明申上げるほどの事件は起っておらんのであります。
不法事件の起りました府県は小さいものも含めまして、青森、宮城、それから東京、神奈川、京都、滋賀、兵庫、愛知、奈良の9都府県でございまして、35件に上っております。これに対しまして現在まで容疑者の検挙400数十名を見ておる状況でございます。
東京都の騒擾事件につきましては昨日本会議において法務総裁からもかなり詳細に述べられましたし、本日警視庁からもお見えになっておりまして、後ほど御説明があると存じますので、東京の分につきましては事前の情報、又国警も参加いたしましての警察措置等について若干申上げ、主として私よりは京都における騒乱事件について詳細の御説明を申上げたいと存ずるわけであります。
(略)
次に京都市におきまする騒乱事件でございますが、先ず事前の動向について申しますると、京都地評におきましては3月20日に弾圧法規粉砕総決起大会に際しまして、民統系が協定を破る単独行為に出ることを非難して、一線を画し、はっきりこの単独行為に出ないということにしなければ、統一メーデーを行わないという方針であったようでありますが、4月11日の第2回の実行委員会で種々議論をいたしました結果、総評側としても自労、学生、朝鮮人を含めた統一メーデーをするということにいたしたわけであります。
又開催の場所を御所前で強行するという決議をいたしておったのでありますが、更に4月28日の許可申請書におきましては、場所を御所前にするという申請であったのでありますが、京都市の公安委員会におきましては会場を二条城前にすることの声明を発表しまして態度を明らかにいたしますると共に、整理員とか、ジグザグ行進、解散時における交通警察官との協力、戎器、凶器の携帯禁止等について自主的統制によって円滑に行うことを条件として許可をいたしたわけであります。実行委員会におきましては、更に4月30日最終会議におきまして、全官公系と激論の末、漸く二条城前を会場とすることに決定した模様であります。
このメーデー前夜祭といたしまして4月27日に自由労組の会合、4月30日の実行委員会傘下労組の円山音楽堂での集合等がございましたが、これらはいずれも平穏裡に終了いたしておりましたが、朝鮮人とか左派の学生、自労尖鋭分子の特異な動向として種々の、以下申上げまするような情報が入手されておったようであります。
先ず朝鮮人につきましては、メーデー当日は一戦を交えることを予期いたし、白鉢巻、白襷(しろだすき)をかけ、全員プラカード、目潰し、パチンコ、竹槍を作り、これに旗を付けておくように準備しておるというような情報、又極左系学生の間におきましては4月30日の学生大会の席上において、メーデー当日は警察無電カーに火焔びんを投げ付けようというような指令をいたしたというような情報、又自労関係におきましては目潰しを使用する。中闘の指令は、メーデー当日は50名くらいの犠牲者は出る覚悟である。今年は思い切って暴れるというようなことを申しておるというような情報もあったわけであります。
次に警察の措置でございまするが、京都市警におきましては以上のような状況から警察隊との正面衝突が予想されるようになりましたので、4月29日に緊急会議を開きまして、市警全員を動員して警備に当ることとし、制服隊2125名を4個連隊に編成、御所周辺、二条城前から府庁、市役所から河原町、四条の繁華街、円山公園を中心とする一帯に配置いたしまするほか、私服隊相当数を配置して警備に当ることといたしたわけであります。
次に当日の状況でございまするが、二条城前の広場の会場には午前10時頃から続々と詰めかけまして、1時30分頃には参加者約2万数1000名になったと思いますが、そういうことで予定通り開会をいたしたいのでありまするが、極左系の妨害に統制が乱れまして議場が紛糾し、一部の尖鋭分子は壇上に駈け上ってマイク線を切るなどの混乱を生じ、議事が全く停頓するに至ったわけであります。こうしておる時に一部労組の間ではこの会議を見捨てて単独に行進を始めるというようなことに相成りましたために、大会は止むなく閉会としまして行進に移ったような状況でございます。
デモ隊の先頭は自労がとりまして3キロに亘る行進が開始されたわけでありまするが、共産党員10数名はトラックに乗りまして終始行進の全列を廻ってアカハタの発刊とか、日共は大衆の先頭に立って闘うという宣伝を行い、又朝鮮人は金日成の肖像画とか北鮮旗を掲げ、朝鮮人、学生等の赤旗の竿は竹槍様の先を尖らしたものであったということであります。
なお別働隊といたしまして、午前10時半頃立命館大学に集合いたしました学生約400名、京都大学内でデモを始めておりました学生約60名、人文学園の学生約200名は、いずれも府庁周辺で本隊のデモ隊に合流いたしておるわけであります。
次に騒乱の状況でございますが、先ず最初に起りましたのが府庁前の乱闘でございます。午後1時頃自労約700名を先頭に、学生隊約1300名が続き、府庁正面前に差しかかりますと同時にジグジグ行進に移りまして、国警隊長官舎前に停車したトラックの上から大山郁夫、木俣秋水、梅林信一氏らがデモ隊に声援いたし、メーデー歌、赤旗、プラカードの波の中でデモがいよいよ高潮に達したのでありますが、かような状況下に学生隊に続きまして北鮮の金日成の肖像画を押し立てた北鮮旗数旒を靡かせて朝鮮人が約700名到着をいたしまして、青年行動隊と思われまする数10名の元気のいいものを先頭に、いずれも2尺余りの角棒を提げ、極端に熱狂化いたしまして無秩序な行動に出たわけでございます。
そこで府庁前の広場で渦巻となりまして、暴徒的な様相を現わして参ったのでありますが、この時に同志社大学の学生たちも加わりまして喧躁を極めまして、警察隊がデモ隊を予定コースにのせ、御所のほうへの侵入を防止する警備態勢を布いておりましたのに対しまして、角棒を以て滅多打ちに殴り込みをかけ、或いはラムネの空瓶であるとか、小石等を投げたのでございます。これが約30分間に亘りまして波状的に繰返して来たのでありますが、警察隊はトラック3台を持ちましてこの警戒線を補強したためにようやく平静化するに至っておるわけであります。この乱闘に際しまして警察側は6名、一般人側が1名負傷をいたしております。
次に民団本部の襲撃が行われたわけでありますが、午後1時30分頃でありまして、丸太町通りの民団京都府本部前に北鮮旗を掲げました朝鮮人団がジグザグ行進を始めたのであります。これを制止いたしました警察隊と押合いを始めまして学童が用意していた石を本部の建物に投げ付け、青年行動隊と思われるものを中心に約30名が事務所内に乱入して暴行を働きましたので、この際2名を検挙いたしております。こういうことのために同事務所は2階窓ガラス22枚、表入口の扉のガラス4枚、机2脚が破壊され、警察官7名がここで負傷をいたしておるわけであります。
次に鳥丸丸太町巡査派出所の襲撃でございますが、午後1時20分頃京大生約600名が突然デモの本隊から離れまして御所に向おうといたしましたので交通整理の巡査がこれを阻止しようといたしまして約15分間揉み合ったのでありますが、この混乱の際に民団襲撃事件被疑者2名を同派出所に連行して来たところ、朝鮮人約200名がこれが奪還のために襲撃をいたして参り、空びんを投げ込み又は竹槍、プラカードを以て攻撃し大乱闘と相成ったわけであります。約20分後にようやくこれを押返したわけでありますが、この際派出所窓ガラス、障子4枚を破壊されるほかサイド・カー1台が大破し、警察官10名が負傷をいたしております。
次に京都地方裁判所前の乱闘でありますが、烏丸丸太町派出所襲撃の余勢で興奮いたしました朝鮮人及び日共グループの一隊約250名は午後1時20分頃京都地方裁判所前で気勢を挙げまして裁判所構内に侵入しようといたしましたのでこれを押返しましたところ、返転いたしまして御所内になだれ込もうとする気勢を示して警察隊と衝突し約20分に亘って乱闘となったわけでありますが、御所内への侵入はこれを防止し得たわけであります。この際警察官約30名が負傷をいたしましたが、国鉄、自労のプラカード6本を押収いたしております。
次は市役所の襲撃でありますが、午後2時30分頃デモの先頭の自労が学生、朝鮮人団体約2000名の集団となりましてジグザグ行進の端を作ったわけでありますが、折から警備態勢の手薄に乗じたと申しましょうか、市庁舎に投石をいたしたり、或いはプラカードの柄や旗竿等で攻撃をいたしまして正面玄関扉の大きいガラス14枚、市長室ほか1、2階のガラス50数枚、そのほか電灯グローブ10箇、ブラケット電灯2箇、丸型電気時計1箇を破壊し、玄関前に掲げてありました講和発効を祝う日章旗2旒を引倒して奪取いたしたわけであります。この際に国民救援会等の極左系のもののトラックから投擲用の石つぶてを補給しておったような状況も見られたわけでございます。
次に河原町通りの衝突でございますが、河原町通り三条、四条間は市内でも最も目抜きの繁華街でございますが、午後2時半頃自労に引続きまする学生隊がジグザグ行進を始め三条から四条に至る約400メーターは一時交通が全く杜絶する状態になりましたので、警察隊は予定のコースに戻すために道路の東側に向わせようといたしましたところ、デモ隊の一団は交通整理の警察官に投石をいたし、警察隊にプラカード、棒切れを振りかざして攻撃をいたして参り、一部警察官を捲き込んで暴行を加えるなどいたしたのであります。ここに約40分間を要しまして漸く正常に服したのでありますが、この際警察官42名が負傷をいたしております。この現場におきまして1名を逮捕し、日共の立大細胞の赤旗1旒を押収いたしております。
次が四条大橋巡査派出所の襲撃でございますが、午後3時25分頃木屋町附近で朝鮮人団体は四条大橋の警ら派出所に対しまして示威を行い、木屋町大橋間が歩車道の区別なく充満いたして一般の交通を阻止いたしましたので、警察隊がコース規制を行おうとするのに対しまして攻撃をして参り、派出所に向って旗竿を投げ、投石する等の暴挙に出たわけであります。ここで6名の者を検挙いたしております。この際警察官12名の負傷者を出しておるわけであります。
次に祇園石段下の乱闘でございますが、午後3時半頃京大生を先頭といたしまする学生隊約1300名は解散地点の円山公園に入りまする祇園石段下に到着したのでありますが、学生隊中最も尖鋭な約50名が石段下の南側の東大路を遮断しておりました警察隊に突入いたしますると共に、自労の一隊が反転してこれに加わりまして警察隊と正面衝突となったのでありますが、石段下からは朝鮮人を主力とする約30名が警察隊の背面から怒号、喊声を挙げまして迫り、更に朝鮮人の女、子供を主とする別働隊70名が石、棒切れ等を雨、あられのごとく投げつけ、数次に亘って押しつ押されつ繰返しをいたしたわけでありますが、警察隊の一部も止むなく後退せざるを得ないような状況を呈したわけでございます。
そこで警察としましては止むを得ず遂に催涙ガス筒2個を投擲しまして漸く暴徒を四散さしたのでありますが、この間交通は全く杜絶いたしまして約40台の市電が停車しておったわけであります。この現場におきまして1名を検挙いたしましたが、警察側の負傷は124名の多きに達しまして、一般人1名もここで負傷をいたしております。又この渦中にありまして駐留軍の乗用車等も破壊をされているような状況でございます。
次に円山公園の紛糾でございますが、デモの解散地でありまする円山公園におきまする流れ解散の警戒のために警察官1個中隊が待機しておりましたところへ、午後4時頃デモ隊は陸続として到着し、いずれも疲労のため休息をとっておりましたが、突然自労、学生、朝鮮人を一団とする約1000名が警察隊に近接をして参りまして、これをアジリ始めましたので、たまたまこれら一団の模様を写真に撮影しようとした高等学校の生徒に対して暴行を加えようといたしました者を阻止しようといたしまして1個分隊を派しましたところ、派遣警察隊を包囲する気配が見えましたので、中隊全員が出動いたしたわけであります。
ところがやにわに目つぶしを投げ攻撃を加え、背後の築山からはラムネの空びん、石、棒切れ等を投げつけ再び乱闘と相成りましたので、止むなく中隊長は銃を出せ、進めという号令をいたしまして威嚇いたしましたため、これに恐れて一団は約40メールほど後退をいたしましたが、警察の側におきまして発射しないということがわかりますると、再びラムネの空瓶、石、棒切れ等のあらゆる器物を投げかけまして反撃して参り、警察隊に負傷者を出し始めたわけであります。ここに止むなく催涙ガス筒4個を投擲して四散させたわけであります。
このときに日共グループのほうにおきましてトラックを公園内に入れましてスピーカーで催涙ガス弾使用を非難しておりましたが、彼等はガスの有効範囲の外に逃れまして警察官を遠巻きにして動きません。そういうことで対峙の姿勢にありましたが、中に入る者がございまして、解散をするからガス弾使用をしないようにというような申入れがあったわけでありますが、徒らに時間が経過して解散の模様がない。そうして対峙の形が続きまするところから警察隊としてはいろいろ苦慮をいたしておったのでありますが、そこに応援の警察官が漸く到着をいたしまして実力を以て押し出しまして漸く解散させることができたわけであります。この間約2時間ほど経過しておりますがこの現場におきまして2名の被疑者を逮捕いたしておるわけであります。
更に五条、七条の両所に対しまする検挙者奪還のための圧力をかけて参った事実がございます。
五条署におきましては河原町、四条大橋附近で検挙いたしました被疑者6名を取調べをいたしておったわけでありますが、学生を中心としまする約50名が赤旗を掲げましてトラックで押しかけると共に更に約300名の一団が同署に押し寄せまして乱入せんとする状態となりましたが、午後8時半頃漸くこれを解散さしております。この際7名を逮捕いたしておるわけであります。
七条署におきましては河原町三条附近で検挙いたしました1名を取調べ中でありましたが、午後4時半頃立大法学部の教授の西村信雄ほか3名が参りまして釈放要求をしておりましたところへ、社大生約40名が押しかけまして署内に侵入いたしましたので、署員がこれを阻止して午後6時過ぎ頃に漸く解散させたのでありますがこの際2名を逮捕いたしておるわけであります。
事後におきまする警察措置といたしましては午後6時半までには円山公園で実力解散させましたデモ隊もおおむね帰途につきまして、五条、七条署の釈放要求も午後8時半頃には大体解散いたしまして事態は平静に復しましたので、午後9時半頃には警備態勢も解除いたしたのでありまするが、市民に与えた衝撃が少なくないと思われましたので、デモの沿線を中心とする一団を、パトロールカーによって警邏し警戒のかたわら放送によりまして当日の実情を市民に知らしめる等の方法をとった模様でございます。
被害の状況でございますが、人的被害としましては警察官の重傷13名、軽傷332名、合計345名ということになっております。なお本事件におきまして現場におきまして逮捕いたしました者は62名でございまして、そのうち証拠不十分な者等を釈放いたし、立件送致をいたしました者が12名でございます。
以上京都の事件について御説明を終ります。
昭和27年05月12日 参議院 地方行政委員会
[001]
委員長(無所属) 西郷吉之助
最初に理事会に諮りました点について御報告申上げます。
第1には先般のメーデーにおきまして京都で騒擾事件が起きておりますので、その現地調査のため京都に3日間委員を派遣することに決定いたしました。人員は4名でありまして、自由党、緑風会からおのおの1名、両社会党並びに改進党は、その6人の中から2名、合計4名3日間京都に派遣することに理事会で決定いたしましたからさよう決定いたしたいと思いますが、御異議ございませんか。
[002]
日本社会党(社会民主党) 中田吉雄
3日間では少いことはないですか。往復に2日かかるでしょう。
[003]
委員長(無所属) 西郷吉之助
京都の問題だけでございますからもう1日くらい殖やしても構いませんが、4日にしますか……それでは期間はもう1日殖やしまして4日間にいたします。日にちは委員が決定してから随時決定したいと思いますが、でき得べくんば早いほうがいいと思います。今月中くらいに……。
昭和27年05月30日 参議院 地方行政委員会
[012]
委員長(無所属) 西郷吉之助
それでは引続きまして、先般吉川委員ほか5名が京都の騒擾事件について本院より派遣されましたので、その報告につきまして吉川委員より只今から聴取いたしたいと思います。吉川君。
[013]
日本社会党(社会民主党) 吉川末次郎
去る5月1日の我が国独立直後のメーデーは、全国470余箇所、参加者140余万人と推定されている参加の下に行われたのでありますが、不幸にして東京、京都その他におきまして不祥事件が発生いたしましたので、当委員会といたしましては治安維持の見地から、先に東京事件についての実態を調査し、その真相並びに原因を究明して来たのでありますが、今回更に京都事件を調査するために、去る5月19日より4日間に亘りまして院議によって現地に派遣されまして、自治体警察及び国家地方警察並びに同公安委員、検察当局、法務府特審局、メーデー主催者側、市長及び議会側の代表等関係者に面接いたしまして、つぶさに事件の実情を聴取いたしましたので、それにつきまして調査の結果の大要を御報告申上げたいと思うのであります。
(略)
我々が当局から同地方におきまして聞きましたところによりまするというと、当日メーデーに参加いたしましたところの者は約2万と言い、或いは3万と言われておりますが、大体において2~3万見当であったようでございます。
併しその他の宇治、周山、福知山等の府下の諸工業地帯を含みますところの都市においての動員人数を加えまして、この共産党の書いておりますところは或いは7万と言い、或いは10万と言っておりますが、京都市の会場に集まりました者は大体2~3万であったようであります。
而も初めは御所に会場を予定いたしておったのでありまするが、而も御所を会場に使うということにつきましては京都府の知事の蜷川君も、労働部長の池上専君と共にこれを肯定する態度をとったのでありますが、御所の管理者でありまするところの厚生省でありますか、宮内庁でありますか、どちらでありますか、これには厚生省という言葉が書いてありますが、許可するところとならなかったので、会場が二条離宮前に移されたのであります。
それは丁度東京におきまして宮城前広場を予定いたしておりましたのが、それが拒否されまして明治神宮外苑に変えられたということを以て、又当局に対するところの反感を激成する一つの戦略に利用いたしましたことは、京都地方のメーデーにおける会場の変更問題につきましても又同様なものが窺われたのであります。
国警本部からの報告にもありましたように、東京のそれと比べまして規模も極めて小さいのでありまするけれども、併しながら特に違っておると私の感じましたことは、東京におけるメーデーの騒擾事件は総評等を中心といたしまして、メーデーの大会等が行われましたあとで、宮城前に集まりましたその参加者の一部の者だけが別個にああした騒擾事件を起したようでありまするが、京都におきましては二条離宮前に集まりましたところのメーデー参加者の全部が大会終了後示威行列をして練り歩きまして、そうしてその途中におきまして、裁判所前、或いは四条大橋の際の交番所の破壊であるとか、或いは市役所の入口の破壊であるとか、或いは祇園の石段下、円山公園その他の所において暴動的な行動に移りましたので、そうした暴動を行いましたところの者は、その数は聞き及びましたところでは2000~3000くらいであったようであります。
参加者全体が仮に3万といたしまするというと、その約1割くらいの者が暴動をいたしたのでありますが、爾余の者はそうした積極的な、暴動的な行為はいたしておりませんけれども、集団的にはむしろ傍観的な態度をとりつつ同一の示威行列をして行進していたように大体聞き及んだのであります。
このことが相違点でありまするが、又考え方によりましては私には極めて重視すべきことではないかと思われるのであります。で、考え方によりましていろんな方面からの重要性が考えられると思うのでありますが、このような問題は各派の立場から自ら見方も異ると思いますので、現地に参りました他の委員の方々からも御意見等をお述べ願いたいと存じます。なお詳細に亘る報告書を用意してありますが、これは速記録に掲載することをお許し願いたいのであります。
以上を以ちまして私の報告を終りたいと存じます。