昭和26年02月02日 参議院 厚生委員会
[022]
委員長(日本社会党) 河崎ナツ
去る12月中に議員派遣をいたしまして調査を行いました神戸、京都、大津、名古屋各地方における朝鮮人騒擾事件に関連いたしまして、生活保護法の適用の実情について、派遣議員の報告をお願いいたしたいと存じます。
最初の2カ所は、参りましたのは私(※河崎ナツ。日本社会党)と藤森(※眞治。無所属)委員でございますが、最初の2カ所は、事情で私が報告させて頂きます。
(略)
[023]
無所属 藤森眞治
京都府の治安の特色となっておりますことは、京都大学等の学生が集団行動に関与して、血気にはやって暴行をすることでございます。朝鮮人は平素は比較的おとなしい。京都府下の朝鮮人の関与した集団刑事事件としては、12月1日京都市役所における朝鮮人教育問題をめぐる不退去、公務執行妨害、傷害事件と、12月9日円山公園における全官公京都地協主催の越年闘争決起大会をめぐる公務執行妨害、傷害事件があるのでございます。
(略)
第2は、円山公園における集団闘争事件。これは全官公主催の越年闘争決起大会を、12月9日京都市円山公園で開かんとしましたが、市の公安委員会はこれを許可しなかったのであります。
一方京都府内労働組合も、餅代1人5000円支給、正月有給休暇、完全就労をかねて要求中で、前記大会に合流する気運がございました。又朝鮮人教育問題につき朝鮮人も更に教育長に要求して大会に参加する気配がございました。又当日京都大学においては、各学部学生自治会主催によります平和擁護講演会を開きまして、そうして講演会の終了後、多数学生が大会に参加するものと予想されましたので、京都市警本部では各署員並びに警邏隊員の総員待機の姿勢をとったのであります。
かくて同日午後2時頃に至り、公園内に朝鮮人、自由労働者を含む300名が集結したので、警察員はその解散に努めましたが、これに応ぜす、漸次増加し、午後3時頃やむなく実力を以て解散に当ったところ、警察員に暴行を加え負傷せしめたので、5名を検束しました。
その後も一度退散した参加者が、又群をなして集まり、自由労務者も波状的に押し寄せて来て、京大学生も300~400人が、或いは赤旗を持ち、或いはプラカードを掲げて集合して、スクラムを組んで、警察員の制止をきかずに暴力を以て、警戒網を破らんとして、集団闘争が繰り拡げられました。学生、自由労働者等は石、瓦等を投げ、或いは或る者は体当りに突っかかって来るというようなことで、大量の検束者を出したのであります。その参加者約700人で、双方に負傷者が出ましたが、警察側の負傷者は約20名ばかりでございました。
そうして午後5時半頃に漸く解散しました。参加者は個々別に帰りましたが、その途中で警察員派出所2カ所に石を投げて、そうして派出員を負傷せしめております。更に又商店街各所で警察の弾圧を罵倒するアジ演説をやりました。当日出動しました警察員は約2000名でございます。
昭和26年11月14日 衆議院 法務委員会
[081]
説明員(検事(法務府特別審査局長)) 吉河光貞
本日は、京大細胞自体の活動状況に関する資料を持参いたしませんでしたが、大体京都におきまして、最近現われました事件というよりも、むしろできごとを拾ってみますと、24年の11月に京都府の学連が結成されまして、事務所が京都大学の中に置かれました。
25年の12月17日に、この事務所が立命館大学の中に移されました。
同年の12月の5日には、京都市円山公園で市民決起大会というものに学生が多数参加しまして、京大の同学会の会員50名が検挙された事件が起きております。
25年の12月11日、京都市役所で京大生が60名くらい、午後1時ころ検挙者返還を市長に面会を求めまして要求いたしました。市長不在のために、秘書課長と押し問答をしたようなできごとがございます。
26年4月14日に、京都大学付近に原子兵器の禁止、婦人と子供を原爆より守れ、というようなビラが散布されました。学生の手によって行われた疑いがございます。その日同地におきまして、民科の学生グループが、ミュラー博士に対する公開質問伏を、GHQに送付したというようなできこともございました。
26年5月12日には京大生約100名が、国会を除名されました川上貫一氏のために資金カンパを行いまして、トラック1台に分乗して赤旗2旒を仕立て、英雄的同志川上貫一、全面講和と再軍備反対のために闘う云々と連呼しながら、14日までとまり込みでやったというような事実がございます。
ただいま申しました京都同学会という学生団体は、その責任者が執行委員長木村砧一郎氏でありまして、現在構成員は1万1000名といわれております。これが本年7月現在の状況でございます。