昭和23年04月27日 衆議院 本会議
[007]
日本社会党 前田種男
その翌日、この首謀者と目される人々が相当検束されました各所の警察署に対しましても、さらに大挙して、そうした人々の釈放方を要請するということのために、大阪南警察署のごときは、そのために石が飛ぶというようなことで、これまたここで相当けが人が出たという事実もあり、最後には解散を命ぜられるというような出来事になったのでございます。
昭和23年04月30日 参議院 治安及び地方制度・司法連合委員
[002]
法務総裁(日本社会党) 鈴木義男
そこで止むを得ず先ず第一にポンプのホースを以て水を掛けることによって退去させることにいたしまして、県庁前からホースで水を掛けて退去を迫ったのです。それで余程崩れたのでありまするが、それでも尚どうしても頑張る者が相当おりましたので、止むを得ず小競り合いが行われ、遂にピストルを発射するというようなことにも相成ったのでありまして、これは非常に遺憾なことでありまするが、或いは警官の方も、「とうがらし」を卵の中に入れて目潰しを食わされた結果、眼が見えなくなった。それで捕まえられて、散々に袋叩きに相なりまして、非常な打撲傷を負うたというようなのを初め、30数名の負傷警官を出した次第であります。
昭和23年05月07日 衆議院 本会議
[011]
民主党(自由民主党) 中村俊夫
この日動員されたる警察官は、合計約4800名であったのであります。これらの警察官によって午後7時半ごろまでに全部府庁より追い出したのでありますが、このとき警察官側に負傷者31名、朝鮮人側にも負傷者を出したのでありますが、その数は不明であります。一方検察庁は、右騒乱に対して、騒擾罪の嫌疑をもって179名を検挙いたしております。
翌24日朝早く、これらの検挙されましたる被疑者の収容警察でありまする南警察署に、約500名の朝鮮人が押しかけ、午後3時ごろより警察官との間に乱闘となって、れんがを投げつけたりいたしまして、警察官約13名負傷いたし、朝鮮人暴行者6名の検挙があったのであります。
4月26日午後1時、朝鮮人の大部分をまじえた2万5000の群集が、府庁前の大手前公園に集合いたしまして、代表者5名を選んで赤間知事に面会折衝いたしましたが、結局決裂をいたしました。
一方群集に対しては解散命令を発したのでありますが、応じなかったために、群集と警察官との間に乱闘を生じ、遂に警官20~30名負傷いたしました。一方警察側の発砲によりまして、朝鮮人1名死亡、他に若干の負傷者を生ずる不祥事が惹起されたのでございます。
宇部事件
昭和23年12月10日 衆議院 地方行政委員会
[020]
日本社会党(社会民主党) 門司亮
この事件の内容は、昨日の午前10時から午後9時まで朝鮮人約1200名と日本人警察官の600名の間に衝突があって、10数名の負傷者を出している。
昭和24年03月31日 参議院 地方行政委員会
[001]
委員長(無所属) 岡本愛祐
逮捕に向った警察官と会場の朝鮮人の群衆2000人との間に猛烈な乱闘が起りまして、遂に警察則、朝鮮人側双方にそれぞれ数10名の負傷者を出すほどでありました。
益田事件
昭和24年03月31日 参議院 地方行政委員会
[001]
委員長(無所属) 岡本愛祐
この地方における朝鮮人の間には朝連を通じまして十分の連絡がありまして、必要に応じては、益田町事件の例に見られるように、附近の朝鮮人を直ぐ急速に糾合しまして、そうして警察署に押寄せて行く。そうして益田町事件の場合は200名を動員しまして警官隊との間の乱闘が起きまして、20余名の負傷者が生ずるに至ったのであります。
平事件
昭和24年07月13日 衆議院 法務委員会
[002]
日本社会党(社会民主党) 猪俣浩三
そこで事のありようは、この6月30日の午後2時過ぎより70~80名からなお多いときは400名、あるいは500名と称せられる群集が平の自治体警察に突入いたしまして、これを占拠し、その時刻からおよそその日の午後の11時半ごろまでの間占拠されまして、平市は、無警察状態を呈したというのであります。
そうして巡査及びこの押し寄せた群集の中にも数名の負傷者を生じまして巡査の1名は4週間の傷を負わされ、なおまた警察署自体は投石及びいすでもって留置場の扉をなぐるというようなことで、窓ガラス及び扉、いずれも破損の箇所が見受けられたのであります。なお留置場に検束せられておりました1人が、留置場からかぎをたたきこわして他へ救い出され、その看守をしておりました堀井という巡査が、その携帯しましたピストルを奪われ、あべこべに留置場の中へぶち込まれたという状態があったのであります。
(略)
さような談判をしておりましたそのうちに、30日の午後になりますと、40名、50名、70名という群衆が警察の前に現われて参りまして、3時、3時半ころには150名あるいは200名という群衆になって、最後には先ほど言ったように400~500名の人が集まったということであります。
そこで非常に雨の降っておったためもありましょうが、これが警察署の中へ入れろ、入れないということで、小ぜり合いをやって、先ほどのような、警察官にも、あるいは襲撃した人たちにも負傷者を出すようなことに相なったのでありますが、とにかくどっと署内へこの400~500名の人が入ってしまって、署長室ばかりに70~80名の人間が押込んだのであります。
昭和29年04月27日 衆議院 地方行政委員会
[046]
政府委員(国家地方警察本部長官) 斎藤昇
その次の平の騒擾事件は、日共の福島地区委員会から許可申請のありました掲示板の設置に関しまして、その福島市警の許可取消し処分を不服といたしました日共関係者は、実力をもって所轄平の市警に乱入をいたしまして、署長以下署員を軟禁いたしました。看守巡査の拳銃を奪取、留置人を奪還いたしまして、署の前には赤旗を交叉をし、市内にみずからピケット・ラインを張りまして通行人を尋問する等、一時無警察の状態になった事件でありまして、これは有名な事件でありますから、十分御承知のことだと存じます。
台東会館事件
昭和26年02月17日 参議院 地方行政委員会
[006]
参考人(警視総監) 田中榮一
彼らの暴行の状況はかねて用意いたしました石塊、それから器物、器具、それから唐辛子等を屋上から投げつけまして、警察官に目潰しを喰わせるというような極めて計画的な暴力行為に出ましたために多数の警察官が負傷いたしたのでありますが、120名のうち日本人が12名おりまするが、120名の検挙をいたしたのであります。
長田区役所襲撃事件
昭和25年11月30日 衆議院 法務委員会
[006]
法務総裁(自由党) 大橋武夫
さらに11月24日は兵庫県姫路市内三菱電機株式会社姫路工場の被整理者の、レッド・パージ反対をめぐる不法行為者4名を検挙いたしておりますが、これら被検挙者の釈放要求のため、翌25日午後1時ごろ、朝鮮人約100名ぐらいが姫路市警察署に押しかけまして、署長に面会を強要いたし、この間群衆は署内になだれ込んで、机、ガラス等を破壊いたしましたのでうち4名を暴力行為、住居侵入容疑で検挙いたしております。
(略)
さて11月27日の日は、神戸事件の発生の当日でございまするが、この日は早朝から、何らかの指令によるものと思われるのでありまするが、兵庫県下の朝鮮人が20名ないし30名ぐらい一団となりまして、続々神戸市内に集まり、神戸地検、神戸市役所、生田区役所、灘区役所、長田区役所、兵庫税務署、須磨税務署、伊丹市役所、長田警察署等にそれぞれ10名ないし20~30名ぐらいが押しかけまして、市民税撤廃、警察官動員反対等を陳情要求いたしますとともに、一方におきまして神戸市所在の西神戸朝鮮人小学校に700名ぐらいが集合して気勢をあげていたものであります。
これに対して、同日午後0時15分ごろ神戸市警察局長名をもちまして、同校の集会を公案条例違反として集会禁止命令を発したのでありますが、これに応ぜずかえって警察官に反抗し、さらにアジ演説を行い、石ころ、れんが等を運び、各人はこん棒、割木等を所持して気勢をあげ、警察官の入場を阻止いたしまして、校内デモを行い、遂に午後3時20分ごろ群衆は長田区役所に向って行進を始め、しかも行進中アジビラを撒布いたしたので、遂に警察側が検挙を開始いたした次第であります。
隊伍のうしろの方から順次検挙を開始いたしたのでありまするが、この際群衆はあらかじめ準備いたしておりましたるこん棒、割木等を振りまわし、あるいは投石し、さらにポケット内に隠匿所持いたしておりましたとうがらしの粉末を投げかけまする等、乱闘となりまして、遂に選抜隊の約200名ぐらいは強硬に長田区役所に殺到いたしてこん棒、石ころなどで窓ガラス数10枚を破壊するの暴挙に出たものでありますが、警察側はこれに対しまして、遂にその181名を検挙いたし、長田署及び市警警察学校に分散留置いたしたものであります。しかしながら当日の検挙に際しまして、警察官の側におきまして31名、朝鮮人側におきまして26名の負傷者を出しております。
昭和25年12月07日 衆議院 本会議
[058]
自由党(自由民主党) 田嶋好文
まず神戸、名古屋、大津の事件でございますが、新聞の報道その他の調査資料によりますと、神戸におきましては、11月27日、兵庫県下各地区から約1000名以上の学童、婦女子を含む朝鮮人が合流いたしまして、警戒に当っておった警官隊と衝突したのでありますが、この事件は、戦後日本各地で起りました朝鮮人事件の中でも、その類のないほど大々的なものであったのでございます。彼らは、当初から警官隊と衝突する態勢を整えまして、かし捧、鉄の棒、れんが、目つぶし用のとうがらし等を用意しておったのでございます。
昭和26年02月01日 参議院 地方行政委員会
[007]
日本社会党(社会民主党) 吉川末次郎
午後3時頃には、約900名の集団となりました学校内の朝鮮人は、三列縦隊のスクラムを組みまして、解放歌を高唱し、梶棒、薪など、先に申しましたような兇器を振りかざしまして同校の南門から表通りに出まして、北のほうに行列して進んで、行進を始めたのであります。
学校附近に警察隊が待機しておったのでありますが、警察隊はその後方から追尾していましたところ集団から警察隊に向って猛烈に石を投げるようになりましたので、そこで警察隊は、この行列をして行進をしておりますところの石を投げた者の検挙に移りまして、ここで警察隊とこの朝鮮人の行列行進隊との間に大乱闘が行われて、そうして激しい抵抗を排して警察隊は現場で約120名の朝鮮人を逮捕したのでありますが、残余の朝鮮人集団は、沿道の民家、巡査派出所等に投石いたしまして、警察を誹謗いたしますところのビラを撒き散らしまして、そうして途中警察官と衝突しながら長田区役所前広場に至りまして、同区役所及び隣接の長田税務署に石を投げ、梶棒を振ってこれを襲撃し、窓ガラス等を破壊したのであります。
午後4時頃、計181名に達する大量検挙によりまして漸く暴徒を鎮圧することができたのであります。夜になりまして更に12名を逮捕いたしましたので、逮捕いたしました朝鮮人の総数は193名になっておるわけであります。
この騒擾事件の負傷者は、警察側では50名、朝鮮人側では37名というところの報告を警察当局から現地におきまして聞いたのであります。逮捕しました者は取調べの結果、98名が騒擾罪及び政令第325号の違反として起訴されたのであります。
昭和26年02月02日 参議院 厚生委員会
[023]
無所属 藤森眞治
午前11時神戸市警察局長は全員2201名の非常召集を発令いたしました。
そうして正午頃西神学校の集団はだんだんその数を増し、手に棍棒、薪を持ち、校庭には白鉢巻をした青年約150名が中心となり、スクラムを組んで、行進の演習をしていました。而も棍棒は先端を鋭く削って槍先のようにしたもので、これは平素からその学校に備え付けてあったものと思われるのでございます。それで神戸市警はこれに解散を命令いたしましたが、これに応ぜぬ場合には実力による解散を企図しておったのであります。
午後3時頃には、学校に集結した鮮人は約900名となり、三列縦隊のスクラムを組んで、解放歌を高唱し、手に手に棍棒を持って表道路に出て行進を始めました。学校附近に待機していた約200名の警備隊が追尾していましたところ、これに激しくその集団から投石するに至ったので検挙が始まりまして、ここに大乱闘となった。この現場で約120名の鮮人が逮捕されましたが、残余の集団は更に行進を続けて、沿道の民家、警察官派出所等に石を投げ、ビラを撒布し、長田区役所、長田税務署に参りまして、又投石、襲撃して、窓ガラス、扉を破壊し、約80名が警察官と格闘のあげく逮捕されたのであります。
その他の者はちりぢりばらばらに四散いたしまして、同日午後5時頃暴徒は完全に鎮圧されたのであります。本件騒擾での負傷者は、警察側51名、朝鮮人側26名の多きに達しております。
昭和29年04月27日 衆議院 地方行政委員会
[046]
政府委員(国家地方警察本部長官) 斎藤昇
(略)約8000名ぐらいが西神戸朝鮮人学校において大会を開催いたし、その後長田区役所に向けてデモを開始いたし、警備警察官の解散警告に応ぜず、白はち巻をいたしまして、決死隊と称する凶暴な一隊は、れんが、小石を投げつつ反抗をいたしまして、長田区役所において暴行するの挙に出でましたので、警察官1320名を市警が招集をいたしまして、一斉検挙に着手し、193名を検挙いたしたのであります。この際に警察側が51名、暴徒側が31名負傷をいたしたのでありますが、その事件であります。
大津地方検察庁襲撃事件
昭和25年12月07日 衆議院 本会議
[058]
自由党(自由民主党) 田嶋好文
大津におきましては、12月1日、大津地方検察庁を、約200名前後のものが再度にわたって襲いまして、警官隊と大乱闘を演じ、わが検察史上類のないところの大事件を引起しておるのであります。
昭和26年02月02日 参議院 厚生委員会
[022]
委員長(日本社会党) 河崎ナツ
昨年12月1日においては鮮人3名が大津の検事正に面会し、被検束者の即時釈放、武装警官の出動排斥等を要求中、女子30人、学童50人くらいで2度に亘って検察庁に押しかけ、革命歌を歌い、スクラムを組み、警察官と乱闘、投石して庁舎の窓ガラス37枚を破壊し、警官に14人の負傷者を出し、遂に51名が検挙されたが、そのうち大津在住の者は16名で、他は県下の各地から集合して来ております。これはあらかじめ連絡して計画的に行なったのであります。
円山公園事件
昭和26年02月02日 参議院 厚生委員会
[023]
無所属 藤森眞治
その後も一度退散した参加者が、又群をなして集まり、自由労務者も波状的に押し寄せて来て、京大学生も300~400人が、或いは赤旗を持ち、或いはプラカードを掲げて集合して、スクラムを組んで、警察員の制止をきかずに暴力を以て、警戒網を破らんとして、集団闘争が繰り拡げられました。学生、自由労働者等は石、瓦等を投げ、或いは或る者は体当りに突っかかって来るというようなことで、大量の検束者を出したのであります。その参加者約700人で、双方に負傷者が出ましたが、警察側の負傷者は約20名ばかりでございました。
そうして午後5時半頃に漸く解散しました。参加者は個々別に帰りましたが、その途中で警察員派出所2カ所に石を投げて、そうして派出員を負傷せしめております。
王子朝鮮人学校事件
昭和26年03月20日 衆議院 法務委員会
[008]
参考人(警視総監) 田中榮一
かかる情勢になりましたので、本庁といたしましては、ただちに予備隊等を動員をいたしまして、まず校門からスクラムを組んでおる朝鮮人の学生等を突破いたしまして、中に入りまして、そうしてこの無届集会を実力をもって解散をいたしたのであります。大体実力行使いたしましたのが、午後1時30分ころから始まりまして、約30分後大体全部の者を校外に排除いたしまして、その際に公務執行妨害をいたしました者約11名を検挙いたしたのであります。
その際にきわめて、抵抗が熾烈でありまして、木片または石灰あるいは灰等にとうがらしをまじえたものを警察官に対して投じ、あるいはその他の器具、器物等を投じましたために、多数警察官が負傷をいたしたのであります。
東成警察署襲撃事件
昭和27年02月23日 衆議院 法務委員会
[015]
自由党(自由民主党) 押谷富三
これは昨年末大阪の東成警察を朝鮮人暴徒が襲いました際に用いましたものも、サイダーびんに入れた催涙ガスの液体であった。それを3箇投げつけて、署内には、いることができないような状況になったということが、調査の結果明らかになっておりますが、そのときに用いたのは駆虫薬であって、非常に入手のしやすいものであると聞いておったのであります。
練馬事件
昭和27年02月23日 衆議院 法務委員会
[022]
参考人(警視総監) 田中榮一
昨年の12月26日練馬署管内におきまして印藤巡査が多数の暴漢に襲われまして惨殺せられ、しかも拳銃を奪取されたのでありますが、これと今回甲斐巡査が多数の暴徒に取囲まれて拳銃を奪取された、この2件につきましては私は単に物取りのしわざではない、ある一つの目的を持った犯行である、言葉をかえて申しますならば、いわゆる思想的背景を持った犯行であろうということを考えざるを得ないのであります。
昭和27年04月25日 衆議院 行政監察特別委員会
[011]
証人(警視総監) 田中榮一
(略)すなわち昨年の12月26日に、ある1人の学生から、その付近の畑に行路病人が倒れておるから、すぐ救済に来てほしいというような申出がありました。
印藤巡査は何か心中に不慮の災害が起るのではないかというような予感があったのでありまするが、平素はそうしたことがなかったので、拳銃を身につけまして、その学生の導くままに、心配することはないからと家族に言い残して行ったのであります。
ところが2時間たっても3時間たっても印藤巡査は帰宅しないというので、妻女が非常に心配いたしまして、隣接の駐在巡査に連絡して捜査をいたしました結果、明け方になりまして、約500メートルほど離れておりました畑の中に惨殺死体となって現われたのであります。
印藤巡査は柔道2段の腕前でありまして、相当武道の自信を持った男でありますが、数箇所できわめて激甚なる格闘の跡がありまして、最後に鈍器のようなものでしたたか殴打された。それが頭蓋骨折を起している致命的打撃でありまして、この一撃によって遂にあえなき最後を遂げたのであります。
白鳥事件
昭和27年01月29日 参議院 本会議
[023]
法務総裁 木村篤太郎
本年(「でたらめ言うな」と呼ぶ者あり)1月21日午後7時30分、札幌市警備課長の警部、白鳥一雄、満36年、この人が単身自転車で帰宅中に、同市内南六条西17丁目附近の路上を進行中に、背後から自転車で接近して来た犯人に拳銃で狙撃された。左肺上部を撃たれて即死したのであります。
(略)
又事件発生後、本年1月23日、札幌市内におきまして、日本共産党札幌委員会名義の同月22日付のビラが撒布された事実があります。(「怪文書だ」「確認したか」と呼ぶ者あり)このビラに、
「見よ、天誅逐に下る、自由の凶敵白鳥警備課長の醜い末路こそ全ファッショ官吏の落ち行く運命だ、全官憲よ、第二の白鳥となるなかれ、他人事と思うな」
云々の記事が煽情的に書かれてあったのであります。(「それが確認されているか」と呼ぶ者あり)
昭和27年02月15日 参議院 地方行政委員会
[046]
政府委員(国家地方警察本部長官) 斎藤昇
ただ先ほど申上げませんでしたが、これは私は事件と関係があるという意味で申しておるのではありませんが、翌24日に共産党の札幌地方委員である村上氏が新聞記者団と会見をいたしまして、
この事件は共産党がやったのではない。ないけれども白鳥のような人間は、これは民主自由を抑圧するものであり、こういう人間は国民からこういう制裁を受けるということは当然である。こういうようなことはまだ今後も起り得るであろう
ということを村上地方委員がはっきりと申しているのであります。
ただそれだからそれと事件に関係があるというわけではありませんが、そういう事実がある。そういう事柄はこれもやはり一つの治安の問題であります。暴力を場合によっては肯定をするんだ、我々を抑圧するような者は、我々はやらないか知らんが、民主自由の陣営の者がこういう者をやっつけるのは当然のことであるということをはっきり言っておるということを申上げて置きたいと思うのであります。
田口事件
昭和27年02月06日 衆議院 法務委員会
[010]
政府委員(国家地方警察本部警視長(警備部長)) 柏村信雄
2月3日の午後10時30分ごろの出来事でございますが、長野県の南佐久郡田口村におきまして、警察官の不審尋問に対しまして、多数の暴徒がこれを取巻きまして、暴行を加えた事件が起ったのであります。
詳細なる点は目下現地に対して照会をいたしておりますが、約13名程度の者が警察官に対して暴行をいたしたと認められておるのであります。そのうち氏名のはっきりいたしました容疑者8名につきまして、令状を執行して逮捕いたしましたが、そのうち1人は容疑が薄いということでこれを釈放いたしております。目下これらについて取調べを進めておるような状況であります。
暴行を受けました警察官は4人でありますが、そのうち2人はかなり重い傷を受けておるわけであります。1人はみけんに骨膜に達するほどの裂傷を受け、1人は鼻の部分、あごの部分を強打されまして、血みどろになっておったというような状況で、そのほか倒れたところを踏んだりけったりしたような痕跡も認められておるのであります。他の2人は軽傷だというふうに聞いております。
昭和27年04月25日 衆議院 行政監察特別委員会
[137]
証人(国家地方警察本部長官) 斎藤昇
長野県田口村の事件と称せられておりますのは、本年2月3日の事件でありますが、当日警戒中の警察官が、1名の挙動不審の者を職務質問いたしましたところ、20~30名の者にとりかこまれまして、袋だたきにされ、2名は重傷を受け、2名は軽傷でありましたが、その際警察官の拳銃と手帳を強奪された事件であります。
京都事件
昭和27年03月27日 衆議院 本会議
[005]
改進党 小川半次
実は京都では、今から1箇月前の2月23日にもデモ隊の集団暴行事件が発生し、3箇所の交番所と2箇所の税務署が襲撃され、その際目つぶし用のパチンコ玉、灰のつぶてを用いて、多数の警察官が傷害を受けたのであります。
昭和27年04月21日 衆議院 行政監察特別委員会
[012]
自由党(自由民主党) 田渕光一
一、2月23日再軍備反対青年婦人大会の概要であります。以下2月23日を2・23事件と申し上げます。
(略)
3、二条大橋巡査派出所襲撃事件、これは分散デモの状況を先ほど申し上げました、御参照願えればけっこうでありますが、とにかくその派出所前で巡査部長以下5名に暴行を加え、投石、窓ガラス4枚を破壊した、これなどは石、れんがのかけらを放っておるのであります。
(略)
5、下御霊巡査派出所襲撃事件、午後10時10分ごろ、学生約10名が派出所の三方から石、れんが等を投石、窓ガラス10枚、電球1個を破壊逃走せんといたしましたが、京都大学生、宇治分校の1名を現場において検挙し、その後捜査を進めた結果、共犯者京都大学生2名、鴨沂(おうき)高校生1名、これは女子であります、これを逮捕いたしております。
本事件における対警暴力器具の使用と発見についてでありますが、本事件において対警暴力器具として使用または発見されましたものは目つぶし用の灰袋、自動車のパンクくぎ、これは自動車をパンクさせるために5寸(※約15cm)に3尺(※約90cm)くらいの板にくぎを数10本打ちまして、自動車の通る前にこれを敷き、自動車をパンクさせるのであります。竹槍が1本、くぎ打ちプラカード、プラカードの先に五寸くぎを刺しておってこれでたたく、かような凶器が発見されております。
3月20日弾圧法粉砕総決起大会の概要でありますが、この事件は2月23日ごろから関連して起っております。
(略)
それから五条署の四条大橋巡査派出所を襲撃いたしております。午後7時15分ころ、デモ隊のジグザグ整理のため、警備部隊1箇小隊が出動している間隙に乗じて、何者かが同派出所に投石、窓ガラス2枚を破壊、同時に鉄道用信号焔管、これは汽車などが事故を起しましたときに使う道具で、鉄道で火焔による信号用に使っておるものであります。この製作所は関東電機株式会社で、長さ6寸、直径1寸、薬品白色粉のものであります。これを1箇を投擲いたしましたが、命中せず、路上において発火、ただちに警備隊員により消火されたのであります。これも犯人を捜査中であります。
それから警官に対する暴行事犯、一つは、午後7時30分ごろ、四条河原町交叉点で交通整理中の五条署小高巡査は、京都連合タクシーに対する暴力事犯、いわゆるガラスをこわしているのを発見、被疑者を逮捕せんとしたところ、巡査をやっつけろと、十重、二十重に包囲され、なぐる、ける等の暴行を受け、全治2週間の負傷をし、しかも公用乗車券を奪取されております。3月22日、被疑者の日本共産党員、府会議員灘井五郎を逮捕、取調べの上送検いたしております。
また午後7時30分ごろ、市役所前広場において状況視察中の警備課勤務田中警部補は、60~70名の包囲を受け、打つ、ける、なぐるの上に、竹ざおのようなもので左頭部に全治1週間の裂傷を負っております。私たちが会いましたときも非常に衰弱しておったのであります。
血のメーデー事件
昭和27年05月02日 衆議院 法務委員会公聴会
[081]
参考人(警視総監) 田中榮一
この乱闘の中におきまして、暴徒はあるいはプラカードの板をはずしまして、くぎを打ったものによって警察官をなぐる、ける、打つ。それから長い竹の先に相当鋭いやりみたいなものをつけまして、2間余の長いやりを持って警察官を突きまくる。あるいはまた野球のバットでなぐる。そのほかありとあらゆる、まことに鬼畜にひとしいこうした残虐な行動をとったのであります。まことに私どもは同じ日本人といたしまして、こうした鬼畜にひとしい残虐なる行動をするということを、遺憾にたえないのであります。
これがために警察官で負傷いたしました者は、重傷者68名、軽傷者672名、計740名の負傷者を出したのであります。しかし警察官はいずれも負傷はいたしましたけれども、絶対に現場を去らずに、最後まで敢闘いたしましたことは、まことに私どもとしましてうれしく存ずる次第であります。
特にここで御紹介申し上げたいのは、私が鬼畜にひとしい行為と申し上げましたのは、警察官がほりに大分投げ込まれた。それを救おうと思って警察官が行くとそれを投げる。そうしてやがて警察官がほりから上ろうとする者を、さらに大きな石でもって上から何回も頭を打つ、そうしてなぐる、また水の中に落される、上る、また落す。かくのごとき残虐なる行為を……。
(「警官はピストル持ってるじゃないか」「何だ」「黙れ」と呼び、その他発言する者多し」
[083]
参考人(警視総監) 田中榮一
それからまた多数の暴徒によって人事不省に陥っている警察官を、ほりの中に投げ込む。かくのごときまことに鬼畜にひとしい残虐なる行動をとったことは、私どもとしましては実に遺憾にたえないのであります。
[085]
参考人(警視総監) 田中榮一
それから今回の暴徒の使いました凶器は、まったく警察官かあるいはそのほか妨害をなすものに対して、これを殺傷する目的を持った凶器のみでありまして、これらは全部証拠物件として押収をいたしております。従って、いずれはどういう凶器を使ったかということが、はっきり国民の前に発表されることと考えております。
昭和27年05月06日 参議院 本会議
[006]
法務総裁 木村篤太郎
警察官の負傷者続出いたしまして、生命身体の危険を避けるため止むを得ず拳銃を使用するに及びまして、暴徒は漸く後退を始めたのでありますが、警察隊は一挙に暴徒を祝田橋附近まで押返し出したのであります。
併しながら、その際、暴徒は警察官3名を捕えまして、梶棒にて殴打し、重傷を加えた上、これを祝田橋附近外濠に突き落し、這い上らんとする彼らに対しまして更に石塊を頭上に投下するなど、暴虐の限りを尽したのであります。
(略)
現在までに判明いたしました被害状況は次の通りであります。警察官の負傷者が重傷者83名、これは全治3週間以上であります。軽傷者が678名、合計761名の多数に達しております。外国人の負傷者は合計12名であります。暴徒側の負傷者は推定でありますが約200名であります。ほかに暴徒側の死亡者1名を出しておるのでありますが、(「それが問題だ」と呼ぶ者あり)同人は検事の死体検視の際ズボンの右ポケット内に小石10数個を入れているのを発見したので、(発言する者多し)騒擾事件現場において暴徒として重要な役割を演じた者と推測されるのであります。なお、本件における警察官の発砲は、前述の通り暴徒の襲撃に対して自己又は他人の生命身体に対する急迫不正の侵害に対する防衛のためなされたものと認められるのであります。
昭和27年05月07日 衆議院 地方行政委員会
[077]
参考人(警視総監) 田中榮一
それから現に警察官が殴打されましたときに、その警察官の負傷者が直接私に話すことでありますから間違いないと思うのでありまするが、手の中に入るような平べったい石でもって頭をなぐるわけであります。これで2、3回なぐられたならば、頭蓋骨はほんとうに粉砕されてしまう。これで少し脳底骨をやられまして、現在耳から鼻から出血いたしております。この石は皇居前広場にもありません。それから日比谷公園にも、こうした石は見当りません。これはおそらく紙に包んでポケットに入れるか、あるいは身体の中に持って来て、そうして現場において出して、この石を使っておるということが、はっきりいたしておるのであります。これは現に負傷した警察官から私個々についてこれを聞いておりますので、こうした物はおそらく参加の際には外に現わさずに、あるいは弁当箱のようなかっこうをして腰にぶら下げて来る場合もありましょうし、あるいはまた洋服の中にこれをつっ込んで来るということも考えられるのであります。
おそらく竹やりのようなものは、みんな旗を先につけて、旗で巻いて来ておるのじゃないかと思います。それから現にプラカードの類は、板さえはがせば、くぎが出て来るのでございまして、大体においてプラカードに板をかぶせて、くぎの出た棒で争闘したということになっております。それからそのほか皇居前広場の中にありましたいろいろな交通制限のためのくいとか、いろいろなさく等がございましたが、それをほとんど全部破壊いたしまして、そのくぎのついた棒切れによって警察官に暴行をしておるような状況であります。
京都メーデー事件
昭和27年05月07日 参議院 地方行政委員会
[003]
政府委員(国家地方警察本部警備部長) 柏村信雄
次に騒乱の状況でございますが、先ず最初に起りましたのが府庁前の乱闘でございます。午後1時頃自労約700名を先頭に、学生隊約1300名が続き、府庁正面前に差しかかりますと同時にジグジグ行進に移りまして、国警隊長官舎前に停車したトラックの上から大山郁夫、木俣秋水、梅林信一氏らがデモ隊に声援いたし、メーデー歌、赤旗、プラカードの波の中でデモがいよいよ高潮に達したのでありますが、かような状況下に学生隊に続きまして北鮮の金日成の肖像画を押し立てた北鮮旗数旒を靡かせて朝鮮人が約700名到着をいたしまして、青年行動隊と思われまする数10名の元気のいいものを先頭に、いずれも2尺余りの角棒を提げ、極端に熱狂化いたしまして無秩序な行動に出たわけでございます。
そこで府庁前の広場で渦巻となりまして、暴徒的な様相を現わして参ったのでありますが、この時に同志社大学の学生たちも加わりまして喧躁を極めまして、警察隊がデモ隊を予定コースにのせ、御所のほうへの侵入を防止する警備態勢を布いておりましたのに対しまして、角棒を以て滅多打ちに殴り込みをかけ、或いはラムネの空瓶であるとか、小石等を投げたのでございます。これが約30分間に亘りまして波状的に繰返して来たのでありますが、警察隊はトラック3台を持ちましてこの警戒線を補強したためにようやく平静化するに至っておるわけであります。この乱闘に際しまして警察側は6名、一般人側が1名負傷をいたしております。
次に民団本部の襲撃が行われたわけでありますが、午後1時30分頃でありまして、丸太町通りの民団京都府本部前に北鮮旗を掲げました朝鮮人団がジグザグ行進を始めたのであります。これを制止いたしました警察隊と押合いを始めまして学童が用意していた石を本部の建物に投げ付け、青年行動隊と思われるものを中心に約30名が事務所内に乱入して暴行を働きましたので、この際2名を検挙いたしております。こういうことのために同事務所は2階窓ガラス22枚、表入口の扉のガラス4枚、机2脚が破壊され、警察官7名がここで負傷をいたしておるわけであります。
次に鳥丸丸太町巡査派出所の襲撃でございますが、午後1時20分頃京大生約600名が突然デモの本隊から離れまして御所に向おうといたしましたので交通整理の巡査がこれを阻止しようといたしまして約15分間揉み合ったのでありますが、この混乱の際に民団襲撃事件被疑者2名を同派出所に連行して来たところ、朝鮮人約200名がこれが奪還のために襲撃をいたして参り、空びんを投げ込み又は竹槍、プラカードを以て攻撃し大乱闘と相成ったわけであります。約20分後にようやくこれを押返したわけでありますが、この際派出所窓ガラス、障子4枚を破壊されるほかサイド・カー1台が大破し、警察官10名が負傷をいたしております。
次に京都地方裁判所前の乱闘でありますが、烏丸丸太町派出所襲撃の余勢で興奮いたしました朝鮮人及び日共グループの一隊約250名は午後1時20分頃京都地方裁判所前で気勢を挙げまして裁判所構内に侵入しようといたしましたのでこれを押返しましたところ、返転いたしまして御所内になだれ込もうとする気勢を示して警察隊と衝突し約20分に亘って乱闘となったわけでありますが、御所内への侵入はこれを防止し得たわけであります。この際警察官約30名が負傷をいたしましたが、国鉄、自労のプラカード6本を押収いたしております。
(略)
次に河原町通りの衝突でございますが、河原町通り三条、四条間は市内でも最も目抜きの繁華街でございますが、午後2時半頃自労に引続きまする学生隊がジグザグ行進を始め三条から四条に至る約400メーターは一時交通が全く杜絶する状態になりましたので、警察隊は予定のコースに戻すために道路の東側に向わせようといたしましたところ、デモ隊の一団は交通整理の警察官に投石をいたし、警察隊にプラカード、棒切れを振りかざして攻撃をいたして参り、一部警察官を捲き込んで暴行を加えるなどいたしたのであります。ここに約40分間を要しまして漸く正常に服したのでありますが、この際警察官42名が負傷をいたしております。この現場におきまして1名を逮捕し、日共の立大細胞の赤旗1旒を押収いたしております。
次が四条大橋巡査派出所の襲撃でございますが、午後3時25分頃木屋町附近で朝鮮人団体は四条大橋の警ら派出所に対しまして示威を行い、木屋町大橋間が歩車道の区別なく充満いたして一般の交通を阻止いたしましたので、警察隊がコース規制を行おうとするのに対しまして攻撃をして参り、派出所に向って旗竿を投げ、投石する等の暴挙に出たわけであります。ここで6名の者を検挙いたしております。この際警察官12名の負傷者を出しておるわけであります。
次に祇園石段下の乱闘でございますが、午後3時半頃京大生を先頭といたしまする学生隊約1300名は解散地点の円山公園に入りまする祇園石段下に到着したのでありますが、学生隊中最も尖鋭な約50名が石段下の南側の東大路を遮断しておりました警察隊に突入いたしますると共に、自労の一隊が反転してこれに加わりまして警察隊と正面衝突となったのでありますが、石段下からは朝鮮人を主力とする約30名が警察隊の背面から怒号、喊声を挙げまして迫り、更に朝鮮人の女、子供を主とする別働隊70名が石、棒切れ等を雨、あられのごとく投げつけ、数次に亘って押しつ押されつ繰返しをいたしたわけでありますが、警察隊の一部も止むなく後退せざるを得ないような状況を呈したわけでございます。
そこで警察としましては止むを得ず遂に催涙ガス筒2個を投擲しまして漸く暴徒を四散さしたのでありますが、この間交通は全く杜絶いたしまして約40台の市電が停車しておったわけであります。この現場におきまして1名を検挙いたしましたが、警察側の負傷は124名の多きに達しまして、一般人1名もここで負傷をいたしております。又この渦中にありまして駐留軍の乗用車等も破壊をされているような状況でございます。
次に円山公園の紛糾でございますが、デモの解散地でありまする円山公園におきまする流れ解散の警戒のために警察官1個中隊が待機しておりましたところへ、午後4時頃デモ隊は陸続として到着し、いずれも疲労のため休息をとっておりましたが、突然自労、学生、朝鮮人を一団とする約1000名が警察隊に近接をして参りまして、これをアジリ始めましたので、たまたまこれら一団の模様を写真に撮影しようとした高等学校の生徒に対して暴行を加えようといたしました者を阻止しようといたしまして1個分隊を派しましたところ、派遣警察隊を包囲する気配が見えましたので、中隊全員が出動いたしたわけであります。
ところがやにわに目つぶしを投げ攻撃を加え、背後の築山からはラムネの空びん、石、棒切れ等を投げつけ再び乱闘と相成りましたので、止むなく中隊長は銃を出せ、進めという号令をいたしまして威嚇いたしましたため、これに恐れて一団は約40メールほど後退をいたしましたが、警察の側におきまして発射しないということがわかりますると、再びラムネの空瓶、石、棒切れ等のあらゆる器物を投げかけまして反撃して参り、警察隊に負傷者を出し始めたわけであります。ここに止むなく催涙ガス筒4個を投擲して四散させたわけであります。
吹田事件
昭和27年07月02日 衆議院 外務委員会
[056]
政府委員(国家地方警察本部長官) 斎藤昇
全国といたしましては、御承知の大阪の待兼山におきまする盛大な前夜祭を皮切りにいたしまして、全国で120箇所において、いろいろな会合を催すものがあったのでございます。その120箇所の中で、いわゆる北鮮系と申しますのが、110箇所、南鮮系というのが10箇所であります。参加人員の朝鮮人は、北鮮系が1万9000、南鮮系が2000名とわれわれは考えております。
集会の形式は、あるいは追悼式、あるいは記念式、あるいは人民大会等の各種記念行事を開催をいたしたのでありますが、その終了後は、大部分がデモ行進を行いまして、警察署あるいは市町村役場、税務署等に押しかけまして、抗議陳情等を行ったのであります。その間デモ隊は火炎びん、竹やりこん棒、石等をもちまして、派出所の破壊あるいは米軍将校に対する暴行、巡査駐在所に対する火炎びんの投入、あるいはPD工場に対する不法侵入等の不法行為をいたしまして、不法事犯は発生件数といたしましては22件であります。大阪の待兼山及び吹田操車場を一円といたします事件、これを1件と数え、また新宿東口における事件、こういうものを1件と勘定いたしまして22件であります。
そのうち、そのとき及びその直後において検挙いたしました件数が9件で、検挙人員が126名であったわけであります。その後若干時日がたっておりますから、検挙件数がふえておると存じますが、その際取締りに従事いたしました警察官のうちで、128名が重傷を負った次第であります。
これらの事件を、概要各箇所について申し上げてもいいのでありますが、非常に時間がかかりますので、一番大きくありました大阪の事件をまず申し上げてみたいと存じます。
(略)
それからさらに産業道路を西進いたしまして、そのときに吹田市の市警の次長が茨木の市警の応援隊を乗せたトラックでそのデモ隊のかたわらを通過をして、この状況を早く本署に報告しようというので、かけ抜けようとしてそのデモ隊に接触をいたしましたとたんに、火炎びん4個を投げられまして、茨木の市警の職員16名がやけどを負い、ただちに16名だけが飛び降りたのでありますが、そのうち2名がひどく殴打されまして、人事不省になり、そこで拳銃2ちょうを奪われたのであります。
デモ隊は速度をゆるめることなくどんどん西進いたしまして、さらにその途中にある駐在所、派出所3箇所をそれぞれ破壊、暴行を加えまして、吹田駅に参りました。折から到着しておりました満員の通勤電車――ちょうど8時ごろでありますが、それに飛び乗ったのであります。警備をしておりました警察官が、そこで検挙をいたそうとして乱闘に相なったのでありますが、汽車は満員で婦女子もたくさん乗っております。車内に警察官が入るとたん、火炎びんを投げる、列車も燃え出す、あるいは竹やりを投げるというので、一般人に負傷が起ることを非常に憂えまして、そこで十分な検挙はできなかったのであります。
この際にさきに奪った拳銃であろうと思うのでありますが、これを警察官に向って1発暴徒が発射をいたしたのであります。警察官は3発応射したのでありますが、そのたまは撃ったデモ隊員に当らないで、他のデモ隊員に当ってけがをさせたのであります。ここで24名を検挙いたしたのであります。さようなわけで、ここで全員検挙はできず、やむなく列車が発車をいたしまして、大阪の梅田駅に到着をいたしました。