昭和23年04月13日 衆議院 本会議
[007]
日本社会党(社会民主党) 川合彰武
さきに芦田総理大臣は、施政演説におきまして、国内治安が斬次改善しつつあることを強調されたのでありますが、今回の浜松事件は、国内の治安事件としましては、実にわれわれは重視せざるを得ない大きな問題であります。まず私は、事件の経過を述べつつ、かかる問題に対する政府当局の所信を伺いたいと思う次第であります。
すなわち本月の4日、浜松地方におけるところの旧小野組と称する一つの封建的な組織、この旧封建的組織の頭領と目される小野晴義君、静岡県の県会議員であり、同時にまた県議会議員であり、同時にまた県議会の警察委員長をされておるその小野晴義君の宅に、午後4時ごろ10数名の暴漢が闖入した。
それから間もなく、その日の7時ごろに、朝鮮人によって経営されておる国際マーケットに対しまして、旧小野組の一団が襲撃し、そして戸障子を破壊し、あまつさえピストルが乱射されて、若干の死傷者を出した。
ところが、またその翌る日も同じようなことが各所に繰返されまして、浜松市は、そのために中央部は灯火管制を布いた。そして市民はまったく通行を禁止して、戦々競々として不安な生活を送った。
その翌る日の6日にも若干の事件が繰返されたのでありますが、ときたまたま岐阜のアメリカ第8軍の24連隊よりは、ジープ10台並びに特別列車によりまして175名のアメリカ軍隊の出動を見、さらに第24連隊長は飛行機によって浜松市に急遽来飛されたというような事件であります。(略)
とにかく今回の事件によりまして、ピストルによる死傷者、あるいはまた猟銃による死傷者が数多く出ておる。すなわち死者が3名、重傷者が11名、軽傷者が多数出ておるというような事実、しかも警察の押収した物件の中には、ピストルが数挺、猟銃が数挺、あるいは日本刀がたくさんあったというようなことから見ますならば、凶器の取締りにまだ不十分な点があるのではないかという点に関して、今後政府は凶器の取締りについてどういうような方針をもって臨まれるか。
[009]
民主党(自由民主党) 安東義良
単に4月4、5日の両日に行われたこの浜松事件のみならず、4月8日には愛知県の犬山におきまして、花見の最中に200余名の鮮人が乱闘騒ぎをやっておるのであります。
私どもが田舎に参りますと、地方民はしばしば私どもに訴える。われわれは鮮人に対して何ら反感を持っていないにもかかわらず、彼らに対しては、課税の方面においても、経済事犯の点においても、はたまた暴力行為に対しても、警察権の発動はきわめて緩漫であって、その間に大なる差別があることを認めざるを得ない、これは今日の日本において許すべきことであるかどうか、こういう質問を受けるのであります。かくの如き不祥事が今なお跡を絶たないということは、まことに遺憾千万であります。(略)
元来在留朝鮮人は、マッカーサー元帥の指令にもある通り、日本の課税権、警察権、司法権のもとに服することになっておるのであります。現に多数の善良なる朝鮮人は、この精神において日本人の法権に服し、日本人と共に平和にその生業を営んでおるのであります。しかるに、不幸にして一部鮮人がこの点を弁えずして、ときに集団的な行動に出て警察を脅かし、また良民を脅かすがごとき事態が起るということは、まことに新日本の恥辱であります。
昭和23年04月15日 衆議院 治安及び地方制度委員会
[007]
説明員(国家地方警察本部警視) 樺山俊夫
先般発生いたしました浜松市におきまする事件につきましては、新聞で報道されておりますので概略を御承知と思いますが、私から概略を申し上げたいと思います。
事件の発端といたしましてその原因を調査いたしましたところ、遠い原因といたしましては、昨年の5月から本年の4月に至ります間におきまして、約6回の事件が起っております。この6回の事件は、今般発生いたしました事件と比較いたしますと、比較的軽微な事件でありまして、拳銃その他の武器を使用しておりません。格闘事件を中心といたしました事件でございます。
それで6回の事件はその都度一応相互の了解によりまして鎮静に帰しておりますが、今回発生いたしました事件の直接の原因といたしましては、4月4日に浜松に在住しております朝鮮人が、その経営いたしております国際マーケットにおきましてダンス・パーティーを開催するために、楽団を雇う計画をして契約をいたしておりましたところ、同じく浜松市におきまする小野組におきまして、やはり同じ日に自転車競争をやるためにその楽団を借りたいという申出がありまして、楽団の主宰者は朝鮮人のダンスパーティーに対しましては別の楽団をせわするという約束をいたしまして、小野組の方に出演をしたわけであります。ところが、4日になりまして朝鮮人の主催いたしますダンスパーティーには、約束に反しまして楽団が出て来なかった。それで朝鮮人の側が憤慨をいたしまして、これは何か小野組の側の妨害ではないかということをもちまして、小野組の小野近義方に押しかけまして、洋裁店の窓ガラス、店内の物品を破壊するという暴行を働いたのが事件の発端であります。
それに続きまして、同夜の9時50分から11時にわたりまして、双方の間の乱闘事件が発生いたしたのであります。その結果、大体双方約50名ずつが拳銃を発射いたしまして、集団的な闘争をいたしました。そのために朝鮮人側におきまして3名の負傷者を出しております。
明けて5日の日の状況でございますが、5日にはそれぞれの側に応援が参りまして、約200名ずつの人数の対立となり、険悪な状況になってきたわけでありますが、同夜の7時20分ごろに朝鮮人が小野氏の邸宅を襲撃いたしました。それを発端といたしまして、再び市内の中心地帯各所におきまして発砲事件が発生いたしました。
その結果、死者5名、負傷者14名、合計17名の死傷者を出しております、同夜使用されたと思われます武器は、正確な数字ではございませんが、推定いたしましたところ、大体朝鮮人側におきまして20挺、小野組の側におきまして10挺くらいの拳銃を使用したものと推定いたしております。
それからその後6日、7日、8日は平静に推移をいたしまして、9日の午後8時50分ごろに、先ほど申しました国際マーケットを経営しております朝鮮人の木村一郎方におきまして発砲事件がございました。これは双方の発砲であるか、単独の発砲であるか明確でございませんが、それはそのまま平静に帰しております。その後事態は引続き平静に復しまして、現在におきましては平静に帰したと考えられます。
[010]
日本社会党(社会民主党) 川合彰武
今回の事件の発端と申しますのは、先ほど御説明があった、いわゆる楽団の問題が原因ではなくて、実はそれより約1週間前にこういう事件があったのであります。
これは各地において行われておるようでありますが、タバコによる賭博事件であります。このタバコによる賭博事件は、最初支那人がやったようであります、その後漸次朝鮮人が行っておるというように聞いております。これは私も見たことがあるのでありますが、それが朝鮮人であったか、支那人であったか、日本人であったかは存じません。
しかしながら、そのタバコによる賭博というものは、浜松市の最も繁華街において相当広範囲に行われておるようであります。それに対しまして市民からいろいろな批判が下される。
そこで事件が始まる約1週間か、10日前に浜松市警察署員の約4名か、5名らしいのですが、そのうちの2人ぐらいはたしかピストルを所持しておったのでありますが、それが松菱百貨店のある市の繁華街の中心地で賭博をやっておるのを現行犯で捕えたのであります。ところがその周囲におった朝鮮人に――朝鮮人ということを言っておりますが、はたしてどうかは存じません。とにかくその捕えたお巡りさんが、逆に殴られ、けられ、そうしてつかまってしまった。ほかの2人はそれを傍観してむしろ署の方に向って逃げておった態勢があったらしいのです。つかまったと申しますか、殴られ、けられた警察署員は、たしか入院したということを聞いております。その際に小野君が仲にはいって、この身柄を預かるといって預かったそうであります。ところが朝鮮人側に言わせれば、小野がこのけんかに対して仲裁を立てる。つまり朝鮮人と警察とがけんかをするという形に見たらしいのです。そこで小野君が仲裁を買って出た、生意気だというのが事件の発端らしいのです。(略)
こういう事柄は単に浜松だけでなくて、各所に見られるらしいのでありますが、なぜ浜松に比較的そういう事件が頻発し、しかもこういう大規模な乱闘事件が起きたかと申しますに、実は浜松がそういう状況でありますので、各地から朝鮮の人々が浜松に集まってくるようであります。
それと同時に、浜松は御承知の通りに織物の産地でありまして、このごろのやみ物資としては、織物が一番マークされておるわけでありますので、そういう関係のあるために、非常にたくさん集まってくる。(略)
そのためにますますこの浜松が全国的に事件を起し得る可能性のある都市と化しておる。そして市民は日夜不安のうちに暮しておる。そうして先ほど申し上げたようなタバコの賭博とか、あるいはほかのいろいろな事件が頻発しておるわけであります。そういうことの累積した結果が4日から6日に至る期間の乱闘事件なのであります。
昭和23年04月26日 参議院 治安及び地方制度委員会
[006]
委員長(日本社会党) 吉川末次郎
次に各地におきまして、朝鮮人が日本の治安を撹乱いたしております問題が起っておりますが、本日は2、3日来の新聞に伝えられておりまする兵庫県及び大阪において、朝鮮人が数1000名県庁、府庁を包囲いたしまして、朝鮮人学校の閉鎖についての騒擾を起しておりますことについて、政府当局から説明を聞くことにいたしたいと思うのでありますが、それに先立ちまして、実は先般院議によりましてこの委員会から、警察制度の改革後の警察状況、並びに地方財政法の審議に関する参考のために、各地方自治体の最近の財政状況を視察して頂くことを中心の題目といたしまして、4班に分れて各地に御出張を願ったのでありますが、その1つの班でありまする愛知県、岐阜県、及び長野県、方面へ参られる方々の間で、御予定を願っておったのでありますが、お出でをどうしても願うことができない方がいらっしゃいましたので、その代りに委員長及び理事が代りまして、そうして御予定を願った方と同時に、その3県に先般来右のような目的のために調査に参ったわけであります。
尚理事の中で中井(※光次。民主党)理事は当日になりましてお出でを願うことができなくなりましたので、私と鈴木理事、鬼丸(※義齊。民主党)委員、並びに羽生(※三七。日本社会党)委員等と一緒にその3県を廻りまして、その廻ります3県の中で我々が旅程につきましてからでございますが、浜松にそうした朝鮮人と、そうして日本人との間における争闘問題が起りましたことを新聞紙上で知りまして、又同様の事件が愛知県の犬山町におきまして起っておることを知りましたので、これは新警察法の実施に伴うところの新らしい事態として、当然我々が調査研究しなければならない対象であると考えましたので、その予定地でありまする愛知県の犬山町に参りまして、審(つぶ)さにその実情をいろいろと調査をいたしたのでございますが、犬山町の事件等につきましては、只今報告書を作成いたしておりますので、その他の事項と同様に報告書の中へ記載いたしまして、後日改めて御報告申上げる機会があるかと思うのでございます。
尚それよりも同様の内容を持った事件として更に大規模のものは、さっき申しました浜松市におけるところの朝鮮人と日本人との争闘事件でありまして、それにつきまして、外のことの御報告は報告書に、後日に譲りまして、今政府当局から兵庫県、大阪府等における朝鮮人騒擾事件の経緯を報告を願うに先立ちまして、その3県の視察の帰途、特に私だけ浜松の方へ参りまして、又静岡県庁等も訪ねまして、調査いたしました結果を簡単に御報告することをお許し願いたいと存じます。
新聞等によりまして大体御承知のことと思うのでありますが、浜松におきまして本月の4日の午後4時頃から、市内の中心地の数ヶ所におきまして、朝鮮人側が約200名くらいと、それから浜松におけるところの香具師の団体であります小野組と申しまする香具師の仲間の者が約200名ばかり、互いにピストルや猟銃を相当所持いたしまして、そうしてその他の者も棍棒であるとか、或いは竹槍等の武器を持ちまして、大袈裟に申しまするならば市街戦を各所に展開いたしたのであります。
その結果、死者が3名出まして、負傷者が14名出たのであります。死者3名の中、朝鮮人が1名、今の香具師の組であります小野組の者が1名、尚それ以外にそうした争闘に意識的に参加しておらなかったところの日本人の市民が、1人死んでいるのであります。
そうしてその小野組と申しまするのは、先程申しましたように香具師の集団でありまするが、その組長とせられておりますところの小野近義という者は、浜松市近在の興行師、香具師の仲間に相当の勢力を持っておりまして、子分の200~300名を擁しておりますいわゆる東海の顔役と称せられておる者でありますが、昨年の4月施行せられました県会議員の選挙に無所属で出馬いたしまして、当選いたしましてからは、表面的行動を避けておったのでありますけれども、依然その小野組の実権を掌握している親方であったのであります。
朝鮮人側の方は同市の旭町にありますところの国際マーケットというものを経営いたしておりますところの、朝鮮人の呉判述という者外数名が、その喧嘩の相手の中心でありまして、その国際マーケットは昨年の4月頃建設いたしまして、爾来マーケットの中に各種の商店、喫茶店等を経営いたしまして、通称闇市と言われているものでありますが、同年8月頃から同マーケット2階に、ダンスホールを経営いたしておりましたが、その時分から近在及び名古屋、豊橋方面から不良の鮮人が出入するようになりまして、これらの不良鮮人団の集会所、或いは犯罪の巣窟であると呼ばれておったものでありますが、その両者の間に、必然的に縄張り争いを生じまして、互に相反目しておったのであります。
それが昨年の9月には同市における映画館におきまして、些細なことが発端となりまして、両者の対立が表面化いたしまして、浜松駅の附近におきまして、互に50~60名の総勢が相対峙しまして、血の雨を降らさんとしたのでありますが、この時は迅速な武装警官の大挙出動によりまして、闘争寸前にこれを鎮圧せられたというようなことがあったのでありますが、爾来両者の相剋が日本人と、朝鮮人との民族的な感情をも加えまして、極めて深刻なものがあったということであります。
そうした遠い原因があったのでありますが、差当りの近因といたしましては、先に申しましたように、この月の4日に今申しました国際マーケットにおきまして、午後1時から朝鮮人主催のダンス・パーティが開催されたのでありますが、そのダンス・パーティに出席する予定でありましたところの楽団の関係者であります、いわゆる興行師のバンドの連中、バンド・マスター、バンド・アコーデオン等を奏しますところの人間3名が、自転車競走に出場するために、その朝鮮人の主催のダンス・パーティに出席し得なかった。ところがそのために、そのダンス・パーティが流会同樣になってしまったのでありますが、こういうことは今申しまする小野組側の指図によって、わざとこれらの楽団の3名の音楽師が出場しなかったのであると、こういうように朝鮮人側では曲解いたしまして、この責任は小野組にある、そのためにこの小野組の実質上の実権の把握者でありまする、県会議員の前に申しました小野近義に物言いをつけるべく、本月4日午後4時頃右小野の経営にかかりますところの市内千歳町に所在しておりまする明治喫茶店に赴きまして、小野を出せと強要いたしましたけれども、同人が不在を幸いに、同店の表陳列台とか、或いは硝子戸、テーブル等を破壊するような暴行に出たということが、その両者が喧嘩をいたしますところの発端になったのであります。
それでその喧嘩は4日、5日、6日と3日に亘って行われたのでありますが、その朝鮮人の暴行行為に遺憾いたしました香具師、興行師の組でありまする小野組の輩下が、日頃の鬱憤を晴らすはこの時とばかり、各々仲間を糾合して報復の準備を整えた模樣があったのであります。
一方朝鮮人側も、小野組からの反撃を予期いたしまして、仲間との連絡を緊密にいたしまして応戦の態勢を整えました。
夜の9時50分頃にいたりまして、小野組輩下の有力な子分であります本宮某というものの家へ朝鮮人側が様子を伺いに、朝鮮人7名がピストルを持ちまして同家裏口から侵入いたしましてピストル数発を発砲しましたけれども、このことあるを予期しておりましたところの小野組側からは、それに報いるべく猟銃を発砲いたしまして反撃いたしました。それで朝鮮人はそのまま逃走したのでありますが、それより市内各所に対峙しておりました双方主力のものが浜松市の田町、鍛冶町、伝馬町の各所、各地区で衝突いたしまして、午後11時まで相互に発砲闘争をいたしまして、ようやく武装警察官が出動をいたしましたので、同日はそれで四散いたしたのであります。
その明くる日5日には、小野組のものは、午前10時頃、その親分でありまするところの小野近義外幹部が同人の家に密かに会合いたしまして、飽くまで朝鮮人に対抗して闘争せんことを決意いたしますと共に、近在の仲間に応援を要請いたしました模樣で、逐次豊橋、沼津、静岡、清水の方面から応援の香具師共が浜松市に参集いたしまして、総勢力約200名くらいに達するものと認められたのであります。
一方朝鮮人側におきましても、小野組側の反撃に対抗するため、応援朝鮮人が各地より漸次浜松市内に潜入いたしまして、総勢約200名に及びまして、そうして市内の各所に分散して待ち構えておりました。
以上のごとく双方対峙の中に午後7時30分頃に至りまして、朝鮮人側数名が小野近義の家即ち県会議員の親方の家を襲撃いたしまして、そうしてピストルを発砲いたしましたが、これを契機に再び前日同様平田町の鉄道踏切附近、松菱百貨店前、海老塚町、千歳町等と飛火しまして、双方衝突し、午後9時30分頃に至るまでの間に、互いに発砲闘争いたしまして、双方及び一般市民の死傷者を出したのでありますが、その間午後8時50分頃田町所在の朝鮮人経営の明月という旅館がありまして、その旅館に小野組の者約16名ぐらいが襲撃して発砲の上、家財道具、その他を破壊いたしまして、又同時刻頃に旭町という所にあります、先きに申しました朝鮮人経営の闇市である国際マーケットに、小野組側の者約100名が襲撃いたしまして、その中約30名くらいが屋内に進入して家財、硝子等を破壊する行為をいたしました。これに対抗する朝鮮人との間にお互いにピストル、猟銃等を発砲し合ったのであります。
最後の6日に至りまして、前項のごとき、先き申しましたような警備警察官の応援増強によりまして、厳重な警戒と徹底した捜査によって、徹底した捜査というのは、静岡県の警察部の報告書でありますが、向うの報告書によりますと、徹底した捜査によって朝鮮人及び小野組の双方のその気勢をそがれて、漸次集結を解いて、外の地方よりの来援者も退去するに至りまして、ここに7日の夕刻になって4日以来続いた騒擾事件も概ね鎮静に帰するところの状態となりました。
7日の晩の9時20分頃岐阜の方面から連合軍の部隊が172名浜松市に到着いたしまして、この騒擾事件は完全に終息するという結果に見るに至ったわけであります。
尚この事件に関しましての詳細なる報告書を浜松市の自治体警察及び静岡県の公安委員会の警察長から入手しておりますから、御希望があれば、後ほど専門調査員室等において御覧を願いたいと思うのであります。
それで今申上げました騒擾のありました明月という旅館であるとか、或いは闇市の国際マーケット或いは大袈裟に申しまするならば、市街戦をいたしました各所等を、衆議院議員の川合彰武君の案内でいろいろ見て廻り、又地方新聞のその実情を実際に見ました新聞記者諸君の話も聞き、又新聞記者の批評家としての立場からの意見等をもいろいろ聴取して参ったような次第であります。
私の御報告はこれぐらいに止めまして、後ほど御質問等がございましたら又お答えいたしたいと存じます。それで又新聞に昨今出ておりまする兵庫県及び大阪府におけるところの朝鮮人の騒擾事件につきまして国家地方警察本部の次長の説明を求めたいと思います。
[011]
委員長(日本社会党) 吉川末次郎
浜松事件、犬山町事件、兵庫県、大阪等の事件は単なる局所的な地方問題でなくして、全国的に共通の問題であり、又日本の治安の維持という見地からいたしますると、日本に在留いたしておりまする朝鮮人がいろいろな点におきまして日本の治安を今日撹乱いたしておりますことは事実でありますので、(略)
[019]
無所属 小野哲
大体今溝淵さんのお話で概要を理解することができたのでありますが、先程委員長の浜松事件の御報告の中にありました、在留朝鮮人の取扱についての明確なる認識が欠けておったということも、民族的な感情の闘争から起ったようにも考えるので、この点も十分取上げて行かなければならんと思いますが、同時にこういう事件が各所に勃発しておる。大体時期を同じうして起っておるというところに大きな問題があるのじゃないかと、かように思うのであります。
昭和23年04月27日 参議院 治安及び地方制度委員会
[008]
委員長(日本社会党) 吉川末次郎
先般来本委員会におきましては、治安の見地から日本に在留いたしておりまする朝鮮人の犯罪問題につきましては、特に多大の関心を抱きまして、今日までいろいろ研究を続けて参ったのでございますが、たまたま本日の4日から7日に亘りまして、静岡県浜松市において、同市在住のテキ屋、及び興行師の親方であるまする小野某なる県会議員を主盟といたしまする小野組一家の者と、朝鮮人とがそれぞれ約200名ばかりずつ、何れも徒党を組みまして、同市内数ヶ所において、それぞれピストル、猟銃、竹槍その他の武器を以て争闘いたしまして、これを少しく大袈裟に申しまするならば、市街戦を演出いたしまして、死傷者10数名を出しました。
同市の自治体警察は、静岡県国家地方警察及び附近の自治体警察、並びに岐阜県駐在の進駐軍の応援によりまして、漸くこれを一時的に鎮圧いたしたのであります。
又これと似たる事件は、時を同じういたしまして、愛知県犬山町にも起り、これ亦専ら進駐軍の応援下にこれを鎮圧するに至りました。
これらの2つの事件につきましては、我々の委員会におきまして派遣議員から昨日の本委員会においてこれが顛末を報告するところがあったのでございます。
昭和23年05月06日 衆議院 治安及び地方制度委員会
[021]
委員長(民主党) 坂東幸太郎
日程に入るに先だちまして報告事項があります。それは浜松騒擾事件につきまして、過日委員派遣を請求いたしましたところ、当時は都合により留保となっておりましたけれども、わが委員会はこれを十分知る必要がありますので、坂東(※幸太郎。民主党)委員長、門司(※亮。日本社会党)理事、千賀(※康治。民主自由党)委員の3人が出張して調べました。その調査に崎川書記が一緒に参っておりましたから、崎川書記より代って報告の朗読をいたさせます。
〔書記朗読〕
浜松事件の調査報告をいたします。(略)
事件発生の原因でありますが、まず遠因について述べますと、かねてより浜松市内においては、いわゆる暴力団と目さるる元小野組に対し一部朝鮮人の勢力、急激に増加し、相対立していた模様で、その間にあって元小野組親分小野近義氏は、数回にわたり朝鮮人対日本人のけんかの仲裁をなしたが、これが結果はいずれも朝鮮人側の不満を買っておりました。また一般市民においては、終戦後とみに激増せる一部朝鮮人の横暴に対しては、恐怖の念を抱く者、あるいは復讐の念を企つる者があり、結局両者の勢力争いに基因して本事件は惹起したものと認められます。
近因といたしましては、4月4日朝鮮人主催により開催したダンス・パティに、元小野組子分たりし楽士が欠勤し、ためにパーティは流会のやむなきに至ったのでありますが、朝鮮人側はこれを小野組親分小野近義氏の妨害によるものと誤解し、激興の結果、同日午後5時ごろ市内鍛治町141番地小野興業社社長県議小野近義氏方に朝鮮人新村隆夫外数名が乱入し、同店舗ウインド・ガラスその他家屋内器物を損壊するの暴挙により本事件が発生したもであります。
事件の概要は、第1回、当日4月4日、前記小野方を引き揚げた朝鮮人側は、浜松市旭町国際マーケット(責任者 呉判述)附近に集結し、午後10時ごろ同市大工町元小野組輩下香具師本宮末吉方へ朝鮮人金彰石ほか6名が拳銃を擬して、乱入、同家及びその器物を破壊するに至り、小野組子分も猟銃をもってこれに対抗し、双方次第に人員を増進し、遂におのおの約50名くらいが市内田町、鍛治町、伝馬町の各中心街において相互に発砲乱闘するに至ったものであります。この事件において、朝鮮人側は1名の被害者を出しております。
第2回目は、第1回乱闘事件は警察官の出動により4月4日午後10時45分ごろ一応鎮静に帰したのでありますが、翌5日午後5時ごろ、双方とも各地より応援者来浜し、再び不穏の状態に立ち至り、午後7時20分ごろ、朝鮮人側数名が小野近義氏方に至り拳銃を発射したため、これを契機に双方おのおの約200名くらいが同市内千歳町、旭町、鍛治町、田町その他市内中心街各所において発砲撃ち合いをなすとともに、建造物、器物等を破壊するに至ったのであります。(略)
この事件に対し連合軍部隊が出動しております、6日午後9時20分には岐阜24連隊カーナー少佐以下172名が来浜、警戒に当りましてたが、事態平穏となったので、一部35名を残して帰隊いたしました。
昭和29年04月27日 衆議院 地方行政委員会
[046]
政府委員(国家地方警察本部長官) 斎藤昇
それではこの8件の事件の概要を申し上げます。
浜松市内における事件と申しますのは、昭和23年4月4日から6日までに起った事件でありまして、朝鮮人経営の浜松市国際マーケット内ダンスホールの楽士が欠勤いたしましたので、朝鮮人側はある興行師の妨害であるといたしまして、朝鮮人数名がその興行師のところに乱入をして建造物を破壊いたしましたために、同一市内中心地において――その興行師と申しますのは小野組でありますが、小野組の子分約50名と朝鮮人50名くらいが拳銃、猟銃を発射いたしまして乱闘をいたしましたほかに、翌5日双方とも各地から応援を得まして約200名となり、午後7時ごろ朝鮮人数名が小野方において拳銃を発射いたしましたために、市内中心地数箇所において乱闘となりまして、小野組は朝鮮人側ダンスホール等数箇所を襲撃して破壊いたしたのであります。
この事件によりまして、朝鮮人側死者1名、負傷者9名、小野組死者1名、負傷者2名、そのほか死者1名、負傷者3名を出したのでありますが、小野組5名、朝鮮人側10名を検挙いたした事件でございます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/浜松事件_(抗争事件)
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